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植田正治と砂丘1945年 そしてときどき松葉ガニ

エッセイ
出典:https://www.amazon.co.jp
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問答無用の砂上の楼閣

20分程でしょうか?到着しました。やって参りました。鳥取砂丘。
寒っつ!
冷たい浜風とあちこちに残っている根雪に、先程まで盛り上がっていたモチベーションは一気に降下。
イヤイヤ、分かっていたはず。2回目の後戻りは許すまじ。承知。行こうぜベイベー。

しかし砂地に踏み入るや、今度はその広大さに驚嘆しました。ナメてました。デカい。広い。
この雪の残る状況でもチラホラと数人の観光客がいたのは心強い限りでしたが…。
その人影さえ、“あんな”遠くの丘陵の頂に米粒大に確認できる大きさで。
“そんな”とこまで行く事を考えると、一瞬立ち眩みがする程でした。

マジか。暫し躊躇してはいたものの直ぐに「あの先を見てみたい」という単純な好奇心の方が強くなり、一歩二歩と歩き始めました。行くぜベイベー。

しかし、しばらく歩いてもまだ1/3も来ていない感じで目標とした丘陵までが遠く、周りに誰もいないのを好都合に、まるでこれは人生か?気付けばブツブツ独り言。
決して寒さで頭がおかしくなった訳ではありません。何卒ご理解の程を。
ひたすらに歩き続けねばならぬとは。振り返ってみたまえ。まだ半分も来ちゃいない。ボヤキ漫才?

なんだこれは?まるで何者でもない上に、何も成さない無力そのものの自分のようではあるまいか?
なんと滑稽なまだまだ所詮こんなもの。未熟者。
そのことに気づかせて頂き、尚且つ歩を進めさせてくれるこの状況。
寒い、キツイなどとぬるいことを言えるのも贅沢話ってことでしょう。
さあ取り敢えずあの丘陵の頂に立つまでは唯、黙して歩こうではないか。

 

そして、ここで発見したことがありました。砂丘にラバーソウルで行くのは止めましょう。

重たいうえに砂に足を取られ、思うようには進まないと知りました。

この頃ちょうど東京ロッカーズのリザードやフリクションのファッションを模倣していて、着の身着のまま旅に出たため、革ジャンに薄い黒のサテンコート、そして、分厚いラバーソウルを履いて、極寒の砂漠に来てしまったわけでして。

アホか。頭悪いんじゃね?
周りに誰もいないのを好都合に独りツッコミ。

ナメてました。二回目。

出典:https://www.amazon.co.jp/

あれやこれやと思いを巡らしながらも、時と共に歩は進み、やがて頂に到着しました。

正直、到達感よりも、期待を裏切る光景に只々目を見張る事になりました。
黒く重たくそして低い空。灰色の海は白波を立てながら砂浜に押し寄せていました。

この天候です。ある程度、眺望は想像出来ていましたが、「荒涼とした」、「殺伐とした」とかいう表現はこの光景の為に存在すると確信させるに充分な衝撃でした。

恐怖と好奇心が入り混じった不思議な感情に、誘われるように海岸線まで降りて行きました。

ひとり旅の因果なのでしょうか、誰もいない広大な砂丘と海という独特な空間に閉じ込められたような錯覚に襲われ一瞬寒気を感じました。そそくさと海岸線を離れ、丘陵に駆け登りました。やべぇやべぇ。

まさか、孤独と恐怖を感じるなどとは微塵んも想定していなかったので、この感覚は、もう一人の自分の出現のようで意外な発見でもありました。

ぐるりと砂丘を一望出来る丘陵の頂で、少し落ち着きを取り戻し、遥か眼下にここを目指して昇ってくる数人の人影を確認して、ホッとしたりする自分がちっぽけすぎて。小心者め。まだまだじゃの。

しばらく砂丘に佇み、感慨にふけり、くしゃみが出て、腹が減り。

さてさて、引き返すとしますか。しかしさぶっ。

背を丸めながらも爽快感と共に砂の斜面を下るのでした。

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封印された3日間

翌日。再び鳥取駅。

快晴。残念。

これがなぜ“昨日”じゃなかったのかと悔いても仕方ないのですが…。
そうです。今日は帰らないといけない日です。
日頃の行いが悪いのは多少なりとも思い当たる節はありましたが、ここでそうきますかって。

今日も山積みに積まれたカニ達にもに別れを告げ、渋々、鳥取を後にしました。

“惰性で消化するだけの日常”に戻った数日後。職場仲間達と飲みに行くことになりました。
杯が進むにつれ、それぞれの連休中の話に。
みな少しずつ期間がズレての休暇だったので、それぞれ何してたかって話ですね。
まあ、聞いたからってどうでもいいっちゃどうでもいい話ですが、それぞれ順番に報告する事に。

「じゃあお前は?何してたんだよ?実家にでも帰ってたのか?」

私の番でした。
「あ、イヤ、チョット鳥取まで行ってまして…。」

「え?実家、鳥取だっけ?違うよな?鳥取って、また何しに?」

「イヤ、砂丘を見て見たくてッスね。」

「…。」

「変ッスかね?」

「まあ、人それぞれだから別にイイとは思うけど…。」

「何?鳥取砂丘に行ってたって?一人で?変わってんね。もしかして病んでんの?ひゃはは。」
え?そんな風に思われてんのか?

「イヤイヤ、若い人はいイイね。悩みあるんだったら聞いてあげるよ?
まさか“ネクラ”じゃないよね?なんちゃって。ハハハ!」
もしかしてバカにされてる?世間様他人様はそんなイメージで捉えているのか?

純粋に行ってみたかったという動機を汚されたようで、人生の意味を自問自答する愚直さを否定されたようで。
その場から逃げ出したい程の恥ずかしさを感じました。

禅問答の解は得られずとも、少なからず得ていた一人旅の達成感と自負が尚更そうさせたのでしょうか?

それからは鳥取の件は触れずにバカ話に終始しました。

そうです。自ら封印してしまったのです。呪われし3日間を葬るかのように。

Keep on running

A.R.B「砂丘1945年」。

つい、懐かしさに乗じて聴いていましたが、知らぬ間に終了していました。

はっ!しまった。最後の曲「波止場にて」聴き逃した。
同時に、記憶のカケラの世界から戻ってきました。
30余年の時を越えて。

静まり返った部屋の中で深く息を吸い込みました。
嗚呼ありがたや。
よくぞこの時を与えてくれました。
誰か知らんけど。

“封印”は解かれました。「植田正治」と再会して。

先ずは30余年前の自分に謝らないといけない。長年の偽りを。

甘っちょろくも青臭い正義を振りかざしてはみたものの、仕舞う矛先を間違えてしまいました。
自分を茶化し、卑下して群衆に同化する事で保身を図っていました。
俗に言う処世術というやつですか?
知らぬ間に身につけそのまま30余年が経過していたのです。

「死んでもなりたくなかった人間に、生きたまま近づいている」
ってなんかで聞いたことがありました。

今はその言葉を笑えません。歳を重ねるという事はそういう事なのかも知れませんが。

それともう一つ、明日、本屋に行って、「植田正治写真集」を買うことに決めました。

改めて、彼の作品を知ると同時に、これまでの懺悔とこれからの戒めも兼ねて。
そして30年後の“自分”の為に。

晴れやかな気持ちで、「砂丘1945年」の再生スタートを押すのでした。

道半ば 煩悩の犬は追えども去らず 

全体の中間を過ぎる事。前半が終わり、後半になること。それが折り返しの意味だそうです。

その位置に来ました。あと半分。

ですがこれからの半分は、これまでの半分とは全く異なる意味合いを持つものになるでしょう。

かと言って今までの半分の蓄積がなければ成立しないのも明白で。

今はちょうどその双方が見渡せる砂丘の丘陵に立っているようなものなのかも?

なんだ、また自問自答が再発?まあそれもまた良しか。
で、結局のところ解答は“あの時”頓挫したままで、未だに導き出されていない?

しかし“あの時”以来の全てが無駄とは限らなかったようで。ぼんやりとですが、少しだけ意味が理解出来るようになりました。いや、なった気がするだけかも?

「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」
冒頭に引用した禅語です。

丘陵を絶対の見地としてみるとそこは砂上の頂。全視界に相対的な物の見方は無くなるはずでは?
素直にあるものをあると言い、無いものを無いと言い、そして足るを知る。
そういう事でしょう?え違っています?
その心境なら実感することが出来るのですが。

そう今一度、砂丘を訪れれば、今度こそ解が得られるかも知れません。
再訪の念も無きにしも非ずで。
その際は冬真っ只中ではなく、暖かく穏やかな時期を狙って。

あっ、でもそれじゃカニが無いか?
イヤイヤ、めっちゃ相対的。煩悩だらけじゃん。

いや、分かっているよ。分かっているんだけどね。
悟りを開けた訳じゃないのね。多分。
今のところ

「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す。そしてときどき松葉ガニ」

って事でいかがでしょう。

まだまだじゃの。未熟者。

ハイ。おっしゃる通りで。

なんせまだまだこれからなんで。

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