3,030mでのDance Music
「アルプスいちまんじゃく、こやりのう~えでアルペンおどりを、さ~おどりましょ~」
小さい頃、歌ったり、踊ったりした曲で記憶にある方も多いと思います。
ねぇ?そうでしょう?ハハハッ!いや~嬉しいな。
らんららんら~らんらんらんら~らんららんら…。失礼。つい楽しくて…。
この“尺”という単位、普段はほとんど使わなくなりましたよね。
一尺約30.3cmだそうです。
つーことはアルプスは一万尺だから、3,030mということになり、ほぼ実際の標高と正しいという事になります。なるほど。ちゃんと合ってたんやね。
そして問題はここから。三尺ということは30.3cm×3で90.9cm。
まあザックリ言って、1mってことにしておいて。
果たして1mもよだれを垂らした人を見たことがあるか?ないと思うが。いや、ありはしない。あろうはずがない。…もうエエやん。そう、「異議あり!」なのです。
しかし、その看板には「よだれ三尺」と掲げられていました。
90.9cmの謙虚な誘惑
その当時、まだ学生だった僕は…。“ボク”だって。笑かすね~。“私は”で行こう、“私は”で。
そう私は若かりし頃は、人見知りというか、人と関わるのが苦手で内気なタイプでした。
積極的、社交的なんて快活なワードは持ち合わせていませんでした。
どちらかというと、ウチにいるのが落ち着くほうでした。
そんな私を見かねたのか、数少ない友人がディナーに誘ってくれました。
「たまには晩飯食いに行こうぜ!」
私とは真逆の明朗活発、元気がウザい人物でした。
街のネオンをすり抜け路地裏に入ると、
煤けた看板がぼんやりと灯っており、
「よだれ三尺」と読めました。
インパクトのある言葉なのにどこか申し訳なさそうで、どこか詫びるような看板の字にますます怪しさを覚えましたが。
もつべきものは友のはず?
「ハイ!いらっしゃい。」
すだれの暖簾をくぐり、ガラガラと引き戸を開けるとおいちゃんの声。
取り敢えず、店に入ってすぐの席に二人並んで座りました。
店内を見渡すとカウンターがメインのお店で、一見すると「焼き鳥屋さん?」と思ってしまいますが、どうやら定食屋らしいと、メニューをみて察しが付きました。
店内には他に、作業員風の男性が一人と、タクシーの運ちゃんが一人。
二人とも我関せずといった雰囲気で、男性はスポーツ新聞を読みながら飯をかきこみ、
運ちゃんは料理を待っているのか、店の天井付近に何年も置かれたままという感じで、埃と油に汚れたテレビを見ていました。
カウンターの中ではおいちゃん、何かわかんないけど調理中。
その奥ではおばちゃん、何かわかんないけど揚げ物中。
へぇ~夫婦で切り盛りしてんのかな?
そんな余計なお世話を打ち消すかのように、
「何にしまひょ?」
意外に張りのある声でふと我にかえりました。
メニューは?と…。
「あっ、焼きそば2つで」 間髪入れずに友人が注文。
は?私の同意も得ずに?まだ何を食べるかも決めていない段階で、
しかも私に多少の“お伺い”らしきものがあってもいいのでは?
それなのに勝手に注文、しかも焼きそば。
テメェなんざたった今から、友人から他人様に格下げだよ!バカやろうめ!
いや待てよ?先にこの野郎に何が食べたいか言っておくべきだったのかも?
だとしたら何という失態。
しかも…ん?
「まあまあ見てなって、面白いから!えっ焼きそばでいいでしょ?」
「うん。いいよ。」
…いいんかい。弱ッ。
「あっ、それと、ここ水はセルフだから。後ろにあるでしょ?ねっ。」
へぇへぇ。あなた様のお水もチャンと注いでお持ちいたしますよ。
ちょっと待ってねコノヤロー。
実際、たった数秒の出来事でしたが、私の感情の起伏でした。
えっ?そうですよね。ウザいんでもう書きませんが…。
とびます とびます とびますってば
うん?カウンターに水の入ったコップが1個あるけど…?
先客でもいるのか?トイレかな?まあいいか。
「えっ、なに?」
「なんだよ、聞いてなかったのか?塩が飛ぶから、塩が。ほらほら見てなよ。」
気付けばおいちゃんカウンターの正面で何かを作り始めていました。
タクシーの運ちゃんは頼んだ定食がきたのか、食事をしていました。
おっ、そうか我らが焼きそばか。
なるほど、カウンターの中が鉄板になっててそこで焼くわけね。
作ってるとこ丸見えで退屈はしないね。
すると、その時は訪れました。
飛びます飛びます。アイツが言ってた塩が飛びます。
焼きそばに下味をつけるのに塩は必要。納得です。
瓶に入った塩を上から降れば終わりだと思いますが、なにゆえそんなわざわざ遠くから、
しかもさじに入れた塩を飛ばす必要があるのか?
後日理解する事になるのですが、カウンターの中の鉄板、かなりのもので幅もいっぱいいっぱいで取り付けられていたのです。そりゃあ調味料を置くスペースは無いわって事です。
だからデカい鉄板の端、遠い所に置くしかない。
そしていちいち塩の瓶を手に取って振る、そしてまた遠い場所に戻す。
えらいこっちゃ!注文が立て込んで来た!忙しい、繰り返し、面倒くさい。
あ~ジャマくさっ!もうエエわ。
塩を飛ばす、こりゃあ、こっちの方早いし、楽だわ。
“必殺技”の完成です。たぶん。
そして、さすがの熟練の技、投げられた塩は見事な放物線を描き、的確に麺の中央に着地、
これまた職人、手早く混ぜ合わせていきます。ぱーぺき。
ところで、今流行りの鉄板焼き屋とやらではドヤ顔で肉を焼くらしいですが、
ここでは、おいちゃん、かえって人が苦手ですねん、仕方なく作ってますねんって雰囲気を醸し出し、
逆にこちらもスンマセン、お願いします的になってしまう程で、
更には無駄口一切無し、一言も喋ろうとはしません。
ザ・定食屋。
「はいどうぞ。」待ってました。ヤキソバ、ヤキソバ~!
チョット泥ソース系の焼きそばで黒っぽく、魚粉がタップリかかっています。
その上には目玉焼き。見事なビジュアル。美しい。
そして予想通りの味。おいちゃん完璧。バッチグー。
それをルーティンというのさ
2人、肩を並べて黙々と焼きそばをかき込んでいると、
ふとおいちゃん、カウンター越しに水の入ったコップを手に取りました。
そうです。さっきから誰のか分からずカウンターに放置されていたコップです。
(なんだやっぱり誰もいなかったのか。)
次の瞬間、私は思わず鼻から焼きそばを垂らすとこでした。
おいちゃんコップを手におもむろに背を向けると、
入れ歯を外してそのコップの水に浸けました。
えっ!何で今⁈調理終了の合図か?
こちらは色々画策して混乱しているのに、入れ歯を外したおいちゃん。
それが当たり前の“習慣”のように。しかも平然。そして、さり気なく。
そしてさすがにお客には見えないようにカウンターの中に置いたつもりだったのでしょうが、我々の死角にはならず残念。
コップに沈む入れ歯が、クラゲのように怪しげでした。
入れ歯を眺めながら食事をしたのは後にも先にもこの時だけでした。
そしてこの光景に一瞬、2人の箸が止まったのは言うまでもありません。
当の本人は、一仕事終えた感じでカウンターの中の丸椅子に腰かけ、テレビを見ていました。口をモゴモゴさせながら。
店を出た後、不思議な高揚感があったのは確かで…。友人が話を切り出しました
「な?来て良かっただろ?塩は飛ぶし、大将のキャラ強いし。昔ながらで。」
「うん。まあね。」
「しかし、入れ歯は強烈だったな~。知らなかったし!」
「うん。まあね。」
「じゃあまた明日。」
「うん。まあね。」
「…?」
えっ!私も少なからず高揚してますけど。伝わんないか?やっぱり…。
こうして素敵なディナーの夜は終わったのでした。