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アルプス一万尺 よだれは三尺

エッセイ
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さよならさんかく またきてしかく

 

「ふぁい!いらっさい。らんにひまひょ?」

「えーと、焼きそば1つで。」

そうです。また来ました。これで何回目かな?

っていうか、おいちゃん今日は最初から入れ歯、外してるし。
しかもカウンターに置いてるし。
そしてこっちも、もう慣れてしまったし。

あれ以来、他に知ってる定食屋など無かった私は、たまに「よだれ三尺」を訪れるようになりました。

相変わらず私は人に馴染めず、かと言って変にプライドが高く頭でっかちで、何になりたいかも分からずに、自己嫌悪に襲われ、要するに一人でした。

そんな自分にとって、このお世辞にもキレイとは言えない、小汚い店で気兼ねする事なく、映りの悪いテレビを見ながら、食事をするのは落ち着きました。
話かけてさえ来ない大将と無関心なお客さん達、そしてコップに沈んだ入れ歯も救いでした。

しかしこんな暗澹としながらも、ある意味平穏な日常も、慌ただしい時の流れと共に押し流され、やがて目の前の忙しさに、翻弄される日々の中に放り込まれることになりました。

 

それとともに「よだれ三尺」から自ずと足が遠のいていきました。

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夢は夢のままで?

「そっか。あれから25年も経ったのか?まだ店、あるかな?あっても大将はもう居ないだろうな。歳も歳だったし。」

やはり予想通り、懐かしい店の引き戸には大きな「貸店舗」の貼り紙。

もうかなり前に閉店したのだろうか?誰も借り手が付かないままなのか、やや廃墟の感すらありました。よく見ると「貸店舗」の貼り紙も茶色く煤けているほどでした。

「やっぱりそうか。そりゃそうだろうな。」

分かってはいるものの、未練がましく汚れた窓ガラスを拭いて中を覗いてみました。

唖然としました。

おいちゃんが、いつものようにカウンターの中に座っていました。
点いてもいないテレビを見ながら。

寒々として立ち竦んでしまっていると、おいちゃん、こちらに気付き、入り口に近づいて来ました。

ガラガラと引き戸を開け、「もうやってないよ。何にもないよ。」

恐怖半分、興味半分、なんとか声を絞り出してみました。

「おいちゃん、ホンモノ?」
「うん?ああ焼きそばの兄ちゃんか?」
「えっ、覚えてんの?」
「当たり前さ。いつも一人で来て、焼きそばしか頼まねぇ暗い兄ちゃんだろ?なんか煮え切らない野郎だって思ってたから覚えてるよ」

ゲッ、そんな風に見られてたのか?
それよりおいちゃんてこんなに喋る人だっけ?そもそも会話したことあったっけ?

「けど兄ちゃんもいいオッサンな歳だろ?で今どうしてんだ?」
「うん。まあね。」
「チッ!変わんないね~。」

ふん。うるせぇや。こっちだってあれからちゃんと社会出て、なんとか人並みには努力して、ある程度は認められて、こう見えても結構人望も信頼もあるようになったんだよ。
あの頃とはもう違うんだよ。まあいいや。

「おいちゃん店はどうすんの?」
「ああ。『貸店舗』?こりゃシャレだよ。今は死んだふりしてんのさ。機会を待ってんのさ。『よだれ三尺』って店の名と一緒さ。正味、よだれ三尺垂らしてる奴なんて居やしないね。
それ位旨いってたとえ?そうシャレだよ。それと一緒。
再起を伺ってんの!分かってないな~。鈍いね~。大丈夫~?」

よくまあべらべらと喋ること。よだれよりおいちゃんの話の方が長いし。
なんかよくわからんけど、元気そうだし、とりあえずもういいか。

「じゃあ、おいちゃんまたね!」

「…おい!…×××。」…「え?なに?」

目が覚めました。少し後味の悪い夢でした。

何言いかけたんだろ?

いらっしゃい。ようこそ“ふりだし”へ

数日後、あの夢が気になってかつての街を訪れることにしました。

“日常”ってやつは時に恐ろしいもので、すぐ隣り町なのに行く必要や、興味関心の対象から外れてしまうと、平気で何年も行かなくさせてしまうんですね。
25年以上経ってしまいました。

ところで、たったそんな夢を見たってことだけで、何故、思い立ってすぐ行ったのか?そう疑問に感じますよね?ヒマだったんです。

失業してて。

夢の中で私が思った事はその通りです。
どちらかと言えば内向的で、上手く世間の波に乗れるタイプでもなかった自分がそれでもなんとか一人前になったと自負していました。立派な社会人だと、ちゃんとした大人だと。
…思い込んでいたのかな?自己完結だったのかな?

いずれにせよ今は何にも無くなりました。自信を失くしました。地位を失くしました。プライドそんなものは邪魔なんで捨てました。疲れました。

導かれるようにやって来ました。懐かしい空気を感じ、久しぶりに癒された感じでした。

しかし他の街に違わず、ここもシャッター街になって閑散としていました。
淡い期待すら持てないかもと思わせる寂しい光景でした。

次の角を曲がれば「よだれ三尺」。
予想通りでした。建物も跡形もなく、駐車場になっていました。

目の前の現実を眺めながら思いをはせてしまいました。

おいちゃんも当時であの年齢だったから、もうご存命ではないかも?

でもイイや。おいちゃん、焼きそば食いに来たよ。久しぶりだね。
また塩を飛ばしてさ、ちゃっちゃと作ってよ。

実はさ~、失業しちゃって、どうしようかなって。ちょっと疲れたし。

なんかあの頃に戻った感じだよ。笑っちゃうよね~。いっちょまえ気取ってたのに。

結局25年かけて要らないものばっかり身に付けてその気になってただけだったんだね。

またゼロになったよ。そう“ふりだし”に戻ったよ。
そうだね。やり直しさ。またこっからスタートだね。
来て良かったよ。

そういえば夢の中でおいちゃん、何か言いかけてたけど、何だったんだろう?

気付けば駐車場に結構な時間佇んでいました。

そろそろ行かなくっちゃ。じゃあボチボチ行くね。
ところで、おいちゃん、失業中でお金ないんだ。今日の焼きそば代ツケといて。
ゴメンね。ありがとう。

そして、駐車場に向かって一礼をしました。
もと来た道をゆっくり戻り始めた時でした。

「…おい!兄ちゃん!頑張んな。もともとみんな三尺ぐらいのもんだって。
気付いただけ儲けもんさ。また始めりゃいいじゃねぇか。簡単なことさ。
なんせアルプスは一万尺もあんだぜ。まだまだこれからさ。」

ありがとう。おいちゃん、
今度はちゃんと聞こえたよ。
今日は帰るけどまた来るよ。
ツケ払わないとね。

なんてシャレだよシャレ。分かってないな~。

 

この話は事実を基にしたフィクションです。
話に登場する「よだれ三尺」という定食屋は実在していましたが、
20年以上前に既に閉店、廃業されています。

従って日本全国に現存する同名の「よだれ三尺」という店舗さんとは全く無関係です。
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