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じゃんとにおいのば

エッセイ

ガン、ガン、ガン。「お⁉なんかコリャ!」 ガン、ガン。
「お⁉“絵”が出りゃ~せんが⁉なんかコリャ。お⁉コラ!コラ!」  ガンガン。

母はすでに眉間に皺を寄せていました。

向こうの部屋からじーちゃんが騒ぐ声が聞こえてきました。

「チョット、あんた行ってきて~や!母さん、今、手が離せんけんな。テレビ壊れてしまうやん。」

「え~⁉なんで?」ガンガン。
「ほら、早よ行かんと!ほんな“ドカベン”ばっか読みよらんと!ほら、壊れるって!」

またか?もう。

「じーちゃん⁉じーちゃんってば!それ言うたやん?叩いても直らんよ!もういい加減、覚えてや?な?」「お⁉なんか?お?」

「これな、テレビの上のこれな、“アンテナ”でエエとこで合わせるんよ。チャンネルは4?何が見たいん?あ、プロレスか?もう、ちょっと待っとって。」

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されど、心此処に非ず

祖父と一緒に暮らしたのは1年にも満たなかったかもしれません。
あっという間に過ぎた時間ですが、何故か記憶だけは鮮明で、ある種特異な時間でした。

祖母も亡くなり一人になり、更に今でいうアルツハイマー型認知症になった祖父。

その普段の生活に不安を覚えた父が、田舎から呼び寄せた形で同居が始まりました。
当時まだ幼かった私は単純に歓迎していました。じーちゃん来たりと。

父母の覚悟など微塵も知らずに。

祖父がフツーとはちょっと違うということに気づき始めたのは、一緒に暮らし始めて間もなくのことでした。

「おい!あの~あれじゃ、飯はまだか?お?」
「あ、じーちゃん。」

「飯はまだかの?」
「…?ご飯さっき食べたやん。」

「お⁉お? いや飯じゃ。ワシは食わせてもらっとらんぞ。」

一日おきに繰り返される押し問答。

時には「ところで、オマエはどこんトコの子じゃ。のう?」

日によって私を“わかっていない”日がありました。私の名を忘れることも多く、多分、近所の子供かなんかのように思っている時がありました。

家族一同、この症状に出会った時はやはり、唖然としました。
何とかその場を取り繕うものの、今後の暮らしに不安を感じずにはいられませんでした。

父母は毎晩遅くまで、台所のテーブルを挟んで話し込む日が多くなりました。

「おやすみなさい。」「まだ起きとったんか?早よ寝らんと。ハイ、おやすみ。」

ボケてきた祖父と言うことを聞かない息子。この時の父母の心労は、今となっては容易に想像でき、同情すら覚えます。

ところがそんな一方で、幼かった私はじーちゃんに違和感を覚えながらも、そこまで思慮分別も持たないわけで、お気楽なもんでした。

ジャイアント馬場さんのメモリアルイベントが札幌で開催、お宝、油絵 ...

出典:スポーツ報知

「あっ!映ったよ。ツルタも出とるよ、じーちゃん!」
「馬場は?どこじゃ?」
「ほら、ソコおるやん。」

ジャイアント馬場がお気に入りでした。

「あっ!今の反則やんか~。そうやろ?」
「まだ分からん。審判が何も言うちょらん!」
「え~!そうなん?」

バシッ!

「コラ!なんでお前が一緒にプロレス見とんのか⁉飯やけじーちゃん呼んで来いって言ったろうが?」

父にハタかれました。

「ほら、オヤジも!いい加減にして。コイツがマネするやろ!」
「エエ~イ!うるさいわ!飯なんぞ要らん!」
「そう言うて、後でまた『飯はまだか?』言うやろ!ええから早よしいや!」

大騒ぎです。プロレスか飯か?究極の選択。そして親子3世代に渡る骨肉の争い。
んな大袈裟な。漫画やがなマンガ。

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何はともあれTKG

祖父は「卵かけごはん」が好物でした。

これは作る側からすれば、ビミョーなメニュー。
ご飯と卵があれば事は足りるワケで、楽ちゃぁラク。

更におかずで何を作ってあげても、「ウマし!」と言うことも無い祖父。

最終的には卵かけごはんでご満悦。

そりゃ張り合いも何もあったもんじゃなくて。
だからといって毎日、卵かけごはんじゃなんかねぇってことで、ある日、そんな祖父を気遣い母がチャーハンを作りました。

ネギや肉も入っていて、極めつけは卵がチャンと入っているではありませんか。

同じ食材で味とバリエーションを変えた傑作。これならば問題なし。完璧なメニューです。

そして食卓。祖父は黙々とチャーハンを食べていきます。
やはり、予想的中!さすが我が母。
家族が皆、その動向にホッと安堵した時でした。

「あれじゃ、ご飯くれんかの?」は?「今日はご飯は無いんか?」

すかさず私は「じーちゃん、コレ、“チャーハン”言うて、ご飯なんよ。」
「ナンか?今日はご飯は無いんかって?」

祖父にとって“チャーハン”はご飯ではなく、おかずでした。
その後、母とひと悶着あった末に、ようやく祖父は白ごはんをゲット。
チャーハンをおかずに、白ごはんを食べるという離れ業を見せたのでした。

父は笑い、母はこう吐き捨てました。

「もう勝手にしいや!知らんがな。」

進行

祖父はアルツハイマー型認知症でした。

初期の段階では多少会話が食い違う程度で、さほど深刻ではなく、普通に私たちとともに日常生活を送っていました。
やがて前述のように、食事をしたことを忘れるようになり、孫の事が認知できない時が現れたりするようになりました。そして肉体的には足元がちょっとおぼつかなくなっていました。

まあまあそうは言っても我が家の中での茶飯事、許容範囲内でした。
しかし、徐々にその症状は変化してきました。

「あれっ?アンタ、じーちゃん見てない?どこ行ったんやろ?」
「また、トイレやないの?」

そう、祖父の“飯はまだか?”症状は相変わらずで、最初はウンザリ程度でしたが、結局、一日に5食ぐらい食べるわけで、そうなると今度は体の事が心配になるのは当然で。大丈夫か?って。

そして、それだけ食べればそれなりに出るのは自然の摂理。
トイレに行く回数も増え、もしかしてトイレで倒れたりしないかと皆で気に掛けるようになっていたのですが、幸いなことに今までそんな大事に至らず、
「おじいさん、胃腸丈夫で良かったわ。憎まれ口叩かれる位の方がありがたいんかもね?」などと、むしろ起伏のない現状に感謝していた程で。

「じーちゃん、トイレおらんよ。」
「部屋は?」
「部屋にもおらんよ。」…。

徘徊が始まったのです。
これを機に事態は変わっていくことになりました。

はやく帰ろう

お、そうやった。裏の畑行って、ネギ摘んでこないけんわい。
そろそろ夕方やし、ばあさんの飯も用意してやらんといけんわい。
ばあさんも寝たきりになってしもて。せめて昔みたいに喋れたらのう。
床擦れの薬も貼り替えちゃらないけんわい。
なあ、ばあさん。ばあさんよう!…あら、ばあさんおらんが。どこ行ったんじゃ?
一人でどこも行けるわけないんじゃが?

ん?ココはどこじゃ?「家(うち)」じゃないぞ?なんじゃこの部屋は?見たこともないもんばっかりで。

イケん!夢でもみとんのか?ばあさんもおらんし、なんでこんなトコにおるんじゃ。
早よ帰らないけん。こうしちゃおれん。帰らんと。

しかし、どっちへ行けばいいんか?見たこともない風景やし、ワシはどうやってココへ来たんじゃ?

こんな見たこともない知らん土地に来るワケがないんじゃが?
けど、しょうがない。なんとか帰らんと。ばあさん、待っちょる。

やれ、しんどいのう。やっと着いたわ。お~い!ばあさんや。帰ったで。スマンのう!待たせたわい。

あら?お前誰じゃ?知らん奴じゃ。何勝手に人んちに上がり込んどんじゃ?
ココはワシの「家(うち)」じゃ!さっさと出てけ!

ここはワシとばあさんと、子供たちのワシらの「家(うち)」じゃ!

祖父は1㎞ほど離れた隣町の民家に上がり込んでいたところを保護されました。

幸いなことに近所の方々が手伝ってくださり、祖父も発見され、更には相手の民家の方にも許していただき大ごとにはなりませんでした。
しかし、祖父は足が悪いのに長い距離を歩いたため、一人で立てる状態ではなく、皆に抱えられての帰宅でした。

父と母はひたすら頭を下げていました。
近所の皆が引き揚げた後、父は祖父を叱咤し、母は泣きながら祖父の疲労困憊した足を揉んでいました。

そして祖父は空を見つめていました。

その日はプロレス中継の日でしたが、もちろんそんな余裕などなく、疲れ果てた祖父は早々に眠ってしまいました。夕方、食事をと呼びに行ったのですが眠ったままでした。

そして私には祖父が泣いているように見えました。

日本プロレスBI砲

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「じーちゃん、今日学校でね、友達から聞いたんよ。今ね『ジャントニオ猪場』って漫画があるんやって。
『ジャイアント馬場』と『アントニオ猪木』を足して割った名前なんやって。ねえ、オモロいやろ?
『じゃんとにおいのば』ってねぇ。ハハハッ!」

「…。」
「あれっ?聞いてる?じーちゃん。『じゃんとにおいのば』」

「…。」

その後も何度か徘徊を繰り返した祖父。

それを症状が進行したというのかどうかは別として、祖父の様子は以前とは明らかに違うものになりました。

あれだけこだわっていた食事の回数も量も減り、独り言が増え、ずっと外を見ていることが多くなりました。

呼びかけにも反応せず、何処か違う世界にいるような。

「じーちゃん、プロレス始まるよ!」

寄せては返す

暫くして祖父は田舎に戻りました。

その方がいいという父母と親族の決断でした。
田舎の親族とかかりつけ医が代わる代わる様子を見るという事でした。

祖父の唯一の心の拠り所が田舎の実家だとしたら、そこから無理に引き離すのが最善の対処ではないとの結論だったと。

祖父の去った家は静かでした。父の落胆は大きく、母は少し手持ち無沙汰でした。

「物事には順序がある。」なんかどっかで聞いたような言葉で。
祖父と過ごしていたのは今から40年以上も前の話。そして時間は流れます。そう、順番です。
いつかは自分の事になる。それは避けられない事実。

今も昔も変わらず、目の前に見えるものだけを捉えて、慌てふためき、日常に追われる日々。
あの時、少し立ち止まり、辺りを見渡すことが出来ていたら。

何かがつっかえたままのような後悔は少しは違っていたかもしれません。
でもそれは自己満足で何の役にも立たないことは重々承知していますが…。

まあ、しかし、そんなに慌てなさんなって?
そう、自分もいずれそうなる。そう間違いなく。

それは諦念?いや、達観?
まあ、なに気取ってみてもしょうがない。

来るべき圧倒的な事実の前に、なるようにしかならない。もれなく覚悟は必要ってことか。

人生行路

さらに時間は流れ、数十年後。

はて?もう昼も2時前になるのに、まだ“食事”の声が掛からんな?今日はエラい遅いな。

もしかしてオレ一人だけ“食事”に呼ばれてないのか?忘れられてるとか?
いや、それはないか。まぁもうちょっと待ってみようか?

気が付いたらここに連れてこられて、「今日からここが『家』ですよ」っておねーちゃんに言われて。
かれこれ経つけど元の「家」にそろそろ帰らないと。今度あのおねーちゃんに聞いてみよう。

それより“食事”はまだかな?腹減った。あっ、あの娘だ。

「スイマセン!すいません。」「あっ、ハ~イ。どうされました?」
「あの~、“食事”はまだですか?お昼ごはん。」

「…。あっ、そうですよね。ちょっと待ってくださいね。」

 

 

…「主任!先週入居された新入りの方が『食事まだか?』って。」
「え?さっき食べたばっかりでしょう?」

「ええ。でもまだ食べてないって。」
「やっぱり症状は出てるわね。いいわ。私が行きましょう。」

「ありがとうございます。あと、この前一人でブツブツつぶやいてはニヤニヤしてたんですよ。チョット引いちゃって。」
「え?なんてつぶやいてたの?」

「良く分からないんですけど、『じゃんとにおいのば』とか何とか…。」
「プッ!なにそれ?呪文かナンか?」

「さあ?でもつぶやいてはニヤニヤして。」
「それはイイわ。そっとしておいてあげましょう。」

 

 

・・・《赤コーナー~! 320ポンド~…。》

「お~い!おっ、こんなトコおったんか?プロレス始まるぞ!」

「アレッ⁉じーちゃん?
ありがとう。呼びに来てくれたんや。
うん、わかった。今行くよ!」

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