ビートルズ、ローリング・ストーンズなどに象徴される1960年代のブリティッシュ・ロック。
数多くのバンドが群雄割拠し、そのムーブメントはイギリス国内にとどまらず世界を席巻。
それまでのミュージックシーンを塗り替えるものでした。

そんな1960年代ブリティッシュ・ロックにおいて特異の存在だったバンドがProcol Harum(プロコル・ハルム)。
クラッシックの要素を取り入れたサウンドはプログレッシブ・ロックの先駆的存在といわれました。
しかし、アルバムごとに表情を変える多様な音楽性は、単純に一括できず唯一無二の音楽と評され、後のロックシーンに多大な影響を与えました。
そんなプロコル・ハルムの軌跡を辿ります。
Procol Harum
Procol Harum(プロコル・ハルム)は1967年Gary Brooker(ゲイリー・ブルッカー)を中心にイングランド南東部のエセックス州サウスエンドで結成されました。
フロントマンでもあるゲイリー・ブルッカーは1945年ロンドン生まれ。
中学生だった14歳の時に当時の仲間達と「The Paramounts」(ザ・パラマウンツ)というグループを結成。
1962年頃から本格始動し、翌1963年にThe Coasters(コースターズ)の「Poison Ivy」のカヴァーでシングルデビューを果たしました。

The Paramounts
レイ・チャールズらに影響を受けたR&B色の濃い楽曲を制作。
当時、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーに「最高のR&Bバンドだ」と賞賛されましたが、ヒットには恵まれず1966年に解散。
その後、ゲイリー・ブルッカーは演奏活動から引退し、作曲に専念することを決意。
Keith Reid(キース・リード)という作詞家と出会い、共同制作を始めます。
そして自分達の楽曲を演奏してくれるアーティストを探しますが、結局見つからず自らバンドを結成することに。
しかしバンド結成は難航。活動もままならないまま頓挫してしまいます。
そんな状況を変えるきっかけとなったのがオルガン奏者のMatthew Fisher(マシュー・フィッシャー)の加入でした。
続けて音楽紙『メロディ・メイカー』でメンバーを募集。
新たに集まったメンバーで活動を開始することに。
バンド名は友人の飼い猫からバンド名を拝借、こうしてプロコル・ハルムが結成されました。
A Whiter Shade of Pale
そして1967年5月にデビュー・シングル「A Whiter Shade of Pale(青い影)」をリリース。
このナンバーは瞬く間に世界的な成功を収め、UK シングル チャートで6週間1位を獲得し、他11か国で同じく大ヒット。
デビューシングルにして、プロコル・ハルムを代表する楽曲となりました。

楽曲を特徴付けているのは、全体を包括するマシュー・フィッシャーのオルガン。
素朴で暖かみのあるオルガンの音色は親しみやすく、郷愁すら感じさせます。
さらに楽曲の構成がバッハの『管弦楽組曲第3番「G線上のアリア」』を引用しており、何処かで聴いたことがあるフレーズに多くのリスナーが共感、支持された要因でもあるといわれています。
こちらはJ.S.Bachの「G線上のアリア」↓
キース・リードによる文学的で難解ともいわれた歌詞も、様々な解釈で話題となりました。
さらに、作詞専任で演奏しない彼の名もバンドのメンバーとしてクレジットされたことも、当時では異例のことでした。
同時代のブリティッシュ・ロック全盛期を彩った多くのバンドもこぞってこの楽曲を賞賛。
ビートルズのポール・マッカートニーは「『これは史上最高の曲だ!』と皆で評した」と発言、
ジョン・レノンは「今の音楽業界で、この曲以外は聴く価値がない」と絶賛しました。
またプロコル・ハルムのライブには、ビートルズのメンバーをはじめ、多くのロック・ミュージシャンが集ったといわれています。
ゲイリー・ブルッカーは、後にインタビューで
誰かに聴かせる時はいつも僕のピアノ演奏だけでしたが、どの人も“これはヒットしそうだ”と言ってくれたんです。ですから、レコーディングする前からヒットになると素直に信じていました。
録音して、あのとても特徴的で、忘れられないサウンドを捉えた時点で、本当に良い作品になると確信しました。」 (udiscovermusicより引用)
と当時のことを回顧しています。
クラッシックの重厚な構造とポップス的要素を含んだロックの融合。
この先駆けとなった歴史的名曲「A Whiter Shade of Pale(青い影)」は、後のプログレッシブロックに多大な影響を与えることになります。
Procol Harum
大ヒットした「A Whiter Shade of Pale(青い影)」から僅か4ヶ月後の1967年9月にリリースされたのが2ndシングル「Homburg」。
前作を引継ぐ音楽性ですが、オルガンがフューチャーされた「青い影」に比べて「Homburg」はピアノがフューチャーされており、これもプロコル・ハルムの初期の代表曲となりました。
またこの時期プロコル・ハルムはジミ・ヘンドリックスのツアーに参加。
実はジミ・ヘンドリックスはプロコル・ハルムの初期からの支持者でもあり、彼等の活動を後押し。
このツアーでサポートアクトや前座を務めながら自分達の楽曲の宣伝も行いました。
そのこともあって「Homburg」もイギリスで6位、アメリカで34位を記録するヒットとなりました。
「青い影」の大ヒットにより急激な環境の変化に見舞われたプロコル・ハルム。
そしてこの多忙な状況の中たった3日間で制作されたのが1stアルバム「Procol Harum」。
Procol Harum (1967)

- Conquistador
- She Wandered Through The GardenFence
- Something Following Me
- Mabel
- Cerdes (Outside The Gates Of)
- A Christmas Camel
- Kaleidoscope
- Salad Days (Are Here Again)
- Good Captain Clack
- Repent Walpurgis
アルバムはある意味、リスナーの期待を裏切るものでした。
「青い影」のような馴染みやす楽曲がラインアップされたアルバムかと思いきや、実際はR&Bをベースとした、当時のサイケデリックロックを反映した内容で、本来の彼等の志向が示されたものでした。
冒頭1.「Conquistador」。
叩きつけるようなリズムピアノと歪んだギターによるマイナートーンのナンバーで、当初プロコル・ハルムがサイケデリックバンドとカテゴライズされたのも頷ける1曲。
意外な一面を見せる5.「Mabel」や10.「Good Captain Clack」。
ジャグ・バンドをベースにポップなナンバーで彼等の多様な音楽性が垣間見える作品です。
10.「Repent Walpurgis」はマシュー・フィッシャーによる楽曲で、彼のオルガンがフューチャーされています。重厚なロック・オルガンにファズの効いたギターが絡み、後のアルバムに繋がる布石の1曲といえます。
デビューから好調なスタートを切ったかに見えるプロコル・ハルムでしたが、実はトラブル続きでした。
1stアルバムを制作する段階で、ギターのRay Royer(レイ・ロイヤー)とドラムのBobby Harrison(ボビー・ハリソン)が脱退。
急遽、以前共にパラマウンツに在籍していたRobin Trower(ロビン・トロワー)とB.J. Wilson(B.J.ウィルソン)が新メンバーとして加入し、レコーディングをサポート。
さらにレコード会社との契約問題や、マネジメントの訴訟問題などを抱えた状態でした。
アメリカ先行でリリースされたアルバムでしたが、これらのトラブルでイギリス国内では3ヶ月ほど遅れたリリースとなりました。
またアルバムの発売初回プレスには「 A Whiter Shade Of The Pale(青い影)」は収録されておらず、アルバムタイトルも『Procol Harum』でした。
しかし、これがかえってセールス的に不振を招く結果に。
そのため、後に「青い影」をトラックリストに加えたアルバムをリリース。
アルバムタイトルも「A Whiter Shade Of The Pale」に改題されました。
英国トラッドフォークを彷彿させる楽曲や、クラシック路線をベースにR&B要素を融合させたナンバーなどプロコル・ハルムのデビューアルバムにして重要な1枚。
ブリティッシュロックの歴史的名盤です。
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Too early progressive rock
そして翌年1968年にリリースされた2ndアルバムが「Shine On Brightly」(邦題:月の光)。
Shine On Brightly (1968)

- Quite Rightly So
- Shine On Brightly
- Skip Softly (My Moonbeams)
- Wish Me Well
- Rambling On
- Magdalene (My Regal Zonophone)
- In Held Twas In I
7a Glimpses Of Nirvana
7b Twas Teatime At The Circus
7c In The Autumn Of My Madness
7d Look To Your Soul
7e Grande Finale
1stアルバムが急遽3日間で制作され、粗削りになったことを踏まえ時間をかけて制作。
プロコル・ハルムの最大の武器であるピアノとハモンドオルガンのダブルキーボード中心のアレンジが、更に充実されたサウンドに仕上がっています。
シングルカットされたタイトル曲2.「Shine On Brightly」を中心に、1.「Quite Rightly So」、5.「Rambling On」、6.「Magdalene」など前半は名曲揃いです。
そして何と言ってもこのアルバムを特徴付けているのが、プログレッシブロックの先駆けとも言える7.「In Held ‘Twas in I」。
全編で17分33秒に及ぶ、5部構成の組曲からなるナンバーで、初のロック組曲といわれています。
ゲイリー・ブルッカーのピアノ、マシュー・フィッシャーのオルガン、ロビン・トロワーのギターというプロコル・ハルムならではの楽器編成を最大限に生かしたサウンド、そして完成度の高い楽曲は、後に“早すぎたプログレッシブロック”と評されました。
1stアルバムの延長線上にあるアルバムかと思いきや、独創的な個性を打ち出してきた2ndアルバム。
この後、更に彼等の多面的な音楽性が発揮されていくことになります。
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The end of the beginning
そして1969年にリリースされた3rdアルバムが「A Salty Dog」。
プロコル・ハルムの傑作といわれるアルバムです。
A Salty Dog (1969)

- A Salty Dog
- The Milk Of Human Kindness
- Too Much Between Us
- The Devil Came From Kansas
- Boredom
- Juicy John Pink
- Wreck Of The Hesperus
- All This And More
- Crucifiction Lane
- Pilgrim’s Progress
クラッシックやR&Bが融合された彼等らしい内容で、特有の古典的な響きと、適度なポップ感がバランスよく配合されたアルバム。
また本アルバムはブルッカー、フィッシャー、トロワーらによる三者三様の楽曲で構成されており、それらのプロデュースをフィッシャーが手掛けています。
バラエティーに富んだナンバー揃いですが、絶妙なバランスで編成されており、聴きごたえのあるアルバムです。
彼等のサウンドが確立された1枚で、プロコル・ハルムの代表作と言えます。
冒頭のタイトル曲1.「A Salty Dog」はプロコル・ハルムが初めてオーケストラを使った曲。
クラシカルなメロディーと相まって荘厳な雰囲気に仕上がっており、「青い影」を彷彿とさせるナンバーです。
続く2.「The Milk Of Human Kindness」ではロビンのギターが効いたR&B、
さらに3.「Too Much Between Us」はトラッドフォークの様相を呈しています。
そしてラストの10.「Pilgrim’s Progress」。
聖歌のようなメロディーとオルガンの音色が、曲のタイトルと符号した名曲です。
初期のプロコル・ハルムの変幻自在な音楽性が結実した名盤「A Salty Dog」。
しかし、これが彼らにとって1つの区切りとなってしまいます。
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Return to one’s roots
アルバム「A Salty Dog」リリース後、フィッシャーはバンドを脱退。
そしてナイツも彼に追随するかのように脱退。
バンドの要であったオルガン奏者とベーシストを失ってしまいます。
実はフィッシャーとバンドは兼ねてより摩擦が生じており「A Salty Dog」の制作過程で表面化。
フィッシャーは自らの提案を拒否された為に脱退を決意したといわれています。
また問題はこれだけで終わらず、後年、ヒット曲「青い影」の著作権を巡り訴訟問題に発展してしまいます。
フィッシャーとナイツの後任には、元パラマウンツのChris Copping(クリス・コッピング)が加入。
ベースとオルガンを担当することに。
これで実質、パラマウンツのメンバーが揃い、奇しくも原点回帰の状態になりました。
このメンバーでの最初のアルバムが、 1970年6月にリリースされた『Home』です。
Home (1970)

- Whisky Train
- The Dead Man’s Dream
- Still There’ll Be More
- Nothing That I Didn’t Know
- About To Die
- Barnyard Story
- Piggy Pig Pig
- Whaling Stories
- Your Own Choice
もともとR&Bなどの黒人音楽をベースにしていたパラマウンツ。
またこの頃からジミ・ヘンドリックスに傾倒していたトロワーのギター色が強まり、さらにこのメンバーでロック色を強めた傾向のサウンドに仕上がっています。
冒頭からハードなギターナンバーの1.「Whiskey Train」。
メロディアスな3.「Still There I’ll Be More」など。
彼等の最大の特徴であったフィッシャーの重厚なオルガンが消えて、一方で評価の低い位置付けとなってしまったアルバムですが、一切の装飾を排して制作されたシンプルなロックサウンドは、彼等の本質が見える1枚と言えます。
オリジナルメンバーに戻ったアルバム「Home」。
タイトルそのままに“ホーム”で開放された自由な彼等のサウンドが溢れた1枚です。
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Broken Barricades (1971)

- Simple Sister
- Broken Barricades
- Memorial Drive
- Luskus Delph
- Power Failure
- Song For A Dreamer
- Playmate Of The Mouth
- Poor Mohammed
1971年にリリースされた5枚目のアルバムが「Broken Barricades」。
前作に引き続き、ハードロックな内容で、ロビン・トロワーのエッジの効いたギターが前面に押し出されたアルバムです。
特に6.「Song for a Dreamer」はトロワーがジミ・ヘンドリックスに捧げたナンバー。
このアルバムリリースの前年の1970年に残念ながらジミ・ヘンドリックスは逝去。
追悼の意味も込められた曲で、いかにトロワーが彼に傾倒していたか窺い知れます。
アルバム全体としては、シンセで重厚さを持たせたり、ファンク・テイストの楽曲があったりと、当時のトレンドも反映しており、プロコル・ハルムならではの多彩で融通無碍な変遷が見てとれます。
しかし、このアルバムを最後にその強烈な個性を見せつけたトロワーが脱退。
ギタープレイを重視するハード・ロック寄りのトロワーのスタイルと、他のメンバーとの音楽性の相違が原因でした。
そしてバンドはまた新たなステージを迎えることになります。
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Welcome to Grand Hotel
トロワーの脱退後、ブルッカーはこれからのプロコル・ハルムの音楽の方向性を見失い、一度は解散を考えたといわれています。
しかし、新たなギタリストにDave Ball(ディヴ・ボール)を迎え入れ、プルコムハルムの初心であるクラシカル路線の再構築を目指します。
「Broken Barricades」リリース後の同年1971年11月18日、ツアーの中でカナダのエドモントン交響楽団・合唱団と共演。
翌1972年にこの時の音源をアルバムとしてリリース。
それが「Live In Concert With The Edmonton Symphony Orchestra」(1972年)

「Live In Concert With The Edmonton Symphony Orchestra」
アルバムはアメリカで最高5位を記録。売上50万枚突破でゴールドディスクに認定され、商業的に成功を収めました。
このライヴ・アルバムの好評を受け、新たにオーケストラとレコーディングを行い1973年にリリースされたアルバムが「Grand Hotel」。
様々な変遷を遂げてきたプロコルハルム・サウンドの一種到達点と言えるアルバムです。
Grand Hotel (1973)

- Grand Hotel
- Toujours L’Amour
- A Rum Tale
- T.V. Ceasar
- A Souvenir Of London
- Bringing Home The Bacon
- For Liquorice John
- Fires (Which Burnt Brightly)
- Robert’s Box
タイトル曲1.「Grand Hotel」はこのアルバムを象徴するナンバー。
ピアノから始まりオルガン、ギター、コーラス、ストリングスと徐々に厚みを増していき、格調高いアンサンブルに。
リズムもロックからワルツ調へ変調したりとドラマ性の高い楽曲に。
プロコル・ハルムを代表する名曲の一つです。
3.「A Rum Tale」はピアノとオルガンのワルツで「青い影」を彷彿させるナンバー。
ブルッカーが自画自賛した美しい楽曲です。
アルバム全体に渡り、メロディー、コード進行、変調と計算されたサウンドと美しいアンサンブルが絶妙なバランスで、バンドの音楽的進化と洗練さを感じさせます。
またアルバムタイトル「Grand Hotel」は、ホテルを退廃的な物質文明の象徴と見なすコンセプトから採られたもので、キース・リードによる文学的な歌詞もその世界観を構築。
楽曲ごとにシーンが変わる物語。登場人物を介して“誇り”や“皮肉”の言葉が織り込まれた歌詞は、英国らしいジョークに溢れています。
サウンドと共にプロコルハルムの集大成であり、1970年代プログレ・シーンを代表する名盤です。
Wandering and the essence
「Grand Hotel」は全米チャートで21位を記録。
イギリスではチャートインこそ逃したものの、6万枚以上を売り上げ、シルバーディスクに認定されました。
しかし、アルバム制作中にギタリストのディヴ・ボールが脱退してしまい、最終的にMick Grabham(ミック・グラバム)が加入。ギターパートを差し替えるというトラブルがありました。
アルバムごとにメンバー編成に変更を余儀なくされ、未だ“混迷”を続けるプロコルハルム。
そういった意味ではサウンドも混迷、いや、試行錯誤を繰り返したバンドとも言えるのかもしれません。
Exotic Birds and Fruit (1974)

- Nothing But The Truth
- Beyond The Pale
- As Strong As Samson
- The Idol
- The Thin End Of The Wedge
- Monsieur R. Monde
- Fresh Fruit
- Butterfly Boys
- New Lamps For Old
前作でオーケストラとの共作を成功させ、新たな分野に功績を残したプロコル・ハルム。
さらにこの方向性で音楽を追究かと思いきや、ブルッカーは、
と洩らしています。
そして翌1974年にリリースされたアルバムが『Exotic Birds and Fruit』(邦題:異国の鳥と果物)。
ブルッカーの言葉通り、オーケストラを排除し再びシンプルなバンドサウンドに回帰したアルバムに。
しかし、以前のハードロック調の再編といった感じではなく、試行錯誤を経た円熟を感じさせるサウンドになっています。
アルバム前半1.「Nothing But The Truth」から4.「The Idol」は、彼等の初期のアルバム群に通じる楽曲で、いかにもプロコル・ハルムといった内容です。
しかし以前と違うのは、メロディーを重視したシンプルなナンバーでありながら、サウンドに厚みがありバンドとしての成熟が感じられること。
これにはプロデューサーを務めたChris Thomas(クリス・トーマス)の手腕も一役買っています。
クリス・トーマスは4thアルバム『Home』からのプロデューサーで、ビートルズのアシスタントプロデューサーから始まって、ピンク・フロイド、後にセックス・ピストルズ、トム・ロビンソン・バンドなどをプロデュースした人物。
本アルバムではトーマスが得意とする重厚で立体感のあるバンドサウンドと、ブルッカーのブルージーなヴォーカルが引き立つサウンドに仕上げており、初期から続くプロコル・ハルムの根底にある音楽を明確にしたプロデュースが冴えます。
一般的な音楽批評では前作「Grand Hotel」をピークに以降のアルバムを過小評価するものが多いですが、キャリアを重ねた彼等が自ら音楽を楽しんでいるかのような本アルバムは、プロコル・ハルム後期の名盤と言えます。
Procol’s Ninth (1975)

- Pandora’s Box
- Fools Gold
- Taking The Time
- The Unquiet Zone
- The Final Thrust
- I Keep Forgetting
- Without A Doubt
- The Pipers Tune
- Typewriter Torment
- Eight Days A Week
1975年にリリースされたアルバムが『Procol’s Ninth』。
ライヴアルバムを含めて9作目のアルバムです。
ここでも彼等の試行錯誤が見られます。
前作で好評だったクリス・トーマスによるプロデュースから、AOR界の重鎮=Jerry Leiber(ジェリー・リーバー)&Mike Stoller(マイク・ストーラー)のプロデュースに変更。
当時トレンドの兆しとなっていたAOR風味を取り入れたサウンドで新たな展開を見せます。
その狙いは功を奏し、シングルカットされた1.「Pandora’s Box」は、7週全英シングルチャート入りし最高16位を記録するヒットとなり、ある程度の商業的成功を収めました。
また、リーバー&ストローラー作の6.「I Keep Forgetting」やビートルズの10.「Eight Days A Week」をカヴァー。
デビュー以来初めて他人の曲を取り入れ、今までにない内容になっています。
しかし新たな意欲作である本アルバムは賛否両論でした。
『Procol’s Ninth』では、それまでのバンドの個性であったプログレ的な要素が消え、耳障りの良いサウンドにまとめられていて、以前より勢いが衰えたと評価されるのはやむを得ないことでした
逆にキャッチーで聴きやすく、このアルバムから聴き始めたリスナーには好評で、意見の分かれるアルバムです。
バンドとして新たな音楽を模索し迷走するのは避けて通れない難題。
来たるべきAOR的なサウンドを、その活路として選択したのは必然だったのかもしれません。
しかし、他のプログレといわれたYES(イエス)やGenesis(ジェネシス)などのバンドが80年前後に迷走し、路線変更したのに比べれば随分と早い決断。
プロコル・ハルムが“早すぎたプログレッシブロック”といわれる所以である“先見性”がここにも見てとれます。
Disbandment and liberation
そして「Procol’s Ninth」発表後、またもやアラン・カーライト(b)が脱退。
オルガンを担当していたクリス・コッピングがベースに変更し、新たなキーボードにピート・ソリーが加入。その後1977年にリリースされたアルバムが「Something Magic」(邦題:輪廻)です。
Something Magic (1977)

- Something Magic
- Skating On Thin Ice
- Wizard Man
- The Mark Of The Claw
- Strangers In Space
- The Worm & The Tree
Part 1 – Introduction / Menace / Occupation
Part 2 – Enervation / Expectancy / Battle
Part 3 – Regeneration / Epilogue
再びオルガンや荘厳なオーケストラを導入して制作された本アルバム。
プロデュースも前作のジェリー・リーバー&マイク・ストーラーからRon Albert(ロン・アルバート)とHowie Albert(ハウイー・アルバート)のアルバート兄弟に変更されました。
収録のためにバンドが用意した楽曲の半数は、アルバート兄弟の意向にそぐわず却下され、その空白を埋めるため、ブルッカーはかねてから構想にあった組曲を提案。アルバムが制作されました。
その組曲6.「The Worm & The Tree」。
ピアノから始まりシリアスに展開していく19分に及ぶ壮大な楽曲です。
“輪廻転生”をモチーフにしており、まるで映画のサントラのような組曲。
邦題タイトルの「輪廻」もここから採られています。
曲の展開とともにその世界観にリスナーを引き込む手腕は熟練の逸曲です。
アルバム全体としては、計算された無駄のないアレンジと、クリアな音質に磨きを掛けたサウンドで、期せずしてデビューアルバムからちょうど10年、節目を飾るにふさわしい1枚です。
一方で、本アルバムがリリースされた1977年前後はパンクやニュー・ウェイヴが音楽シーンを席巻していた時代。
新たな音楽の到来する中、「Something Magic」は時代に逆らうような作品でした。
しかし、懐古的なアルバムではなく、むしろアルバムごとにあらゆる音楽性を模索し、進化してきたプロコルハルムが辿り着いた1つの終着点でありました。
「Something Magic」リリース後、
とブルッカーは発言。
やがてこの言葉が象徴するかのように、アルバムのプロモーションツアーの途中でクリス・コッピングが離脱。後を追うようにミック・グラバムも、バンドへの不満からバンドを脱退。
プロコル・ハルムは事実上の解散となりました。
ご試聴はこちら↓

The end of illusion
1967年の「A Whiter Shade of Pale(青い影)」の大ヒットデビュー。
プロコル・ハルムを英国ロックシーンのトップに押し上げその地位を不動にした歴史的名曲ですが、これ以降、奇しくもこの“「青い影」の幻影”に追われることに。
常にこの曲が比較対象となり、時に彼等の新たなサウンドは否定的に受け止められたりもしました。
しかし彼等の根底にある「音」は揺るぐことはありませんでした。
自分達のサウンドの追究にひたすら没頭した10年間でした。
結果、それぞれ表情の違う作品が完成。
ルーツであるR&Bの影響が色濃くでたアルバム、プログレッシブ・ロックの先駆けとなったアルバム、ハード・ロック、クラッシックとの共作アルバムなど。
全てに共通しているのは美しいメロディと、音の隙間を縫うように計算されたアンサンブル。
やはりそれらははゲイリー・ブルッカーの類まれなるメロディセンスによるもので、一貫した美意識による楽曲構成は唯一無二のものです。。
1977年に一旦解散したプロコルハルムですが、1990年に再結成。
その音楽を再び紡ぎ始めました。

