PR

James Carr

音楽

James Carr(ジェームス・カー)。
サザンソウルにおける伝説的ヴォーカリストです。

ソウル・ミュージックの代表的ミュージシャンといえば、時代の前後はあれどMarvin Gaye(マーヴィン・ゲイ)、Sam Cooke(サム・クック)、Otis Redding(オーティス・レディング)などが有名でJames Carr(ジェームス・カー)と言われてすぐにピンとくる方はそんなにいないかもしれません。

しかし、彼の唯一無二の歌声は今でも圧倒的で聴く人を魅了します。
そんな不世出のソウル・シンガー、ジェームス・カーの軌跡を辿ります。

スポンサーリンク

Soul Music

その前にソウル・ミュージックとは?

簡単にソウルと一言でいっても、漠然と黒人音楽という捉え方をしている方も多いのではないでしょうか?
確かにソウルにもモータウン、サザンソウル、ブルーアイドソウルなど分類されていてよく区別がつかないし、加えてR&Bとの違いもイマイチごちゃごちゃだし。

まさにその通り。特に現在ではいろんなジャンルが複雑に交錯して区別も曖昧になっていますし。

そこで分かりやすくソウル・ミュージックについて。

まず、ソウルミュージックのルーツはゴスペルです。

背景には奴隷の歴史や黒人差別が大きく影響しており、ゴスペルは奴隷としてアフリカから連れてこられた、アフリカ系アメリカ人の信仰から教会で歌われた特有の讃美歌でした。

そして一方で日常の歌として親しまれていたのがブルースでした。
ゴスペルは教会音楽、ブルースは日々の生活を歌った世俗音楽という位置付けで共存していました。

(画像はブルースの女王と呼ばれた最初の黒人ブルースシンガーMamie Smith

そしてゴスペルとブルースが混ざり合ったのが
当時「レース・ミュージック」といわれた音楽で、後にR&B(リズム&ブルース)と呼ばれるようになります。

出典:amazon.co.jp

その後、ゴスペルをベースにR&Bや新たにジャズの要素が影響して、分かりやすいリズム、コールなどでさらに大衆化したのがソウルです。

時代的には、アフリカ系アメリカ人の権利が、アメリカ合衆国で獲得されていく機運が高まる1950年代から1960年代前半、この時期に呼応するかのようにこの“自由な音楽”は大衆に浸透していきました。
そしてそれはまさにアメリカンドリームといわれる「豊かなアメリカ」に向かう時代でもありました。

スポンサーリンク

James Carr

James Carr(ジェームス・カー)
1942年6月13日、アメリカ南部ミシシッピ州北西部のコアホマ郡生まれ
その後、まだ彼が幼少の頃に一家はテネシー州メンフィスに移り住みます。

移り住んだテネシー州メンフィスは、後の1960年代にサザンソウルと呼ばれるR&B、ソウル・ミュージックの震源地となる場所でした。

牧師の息子である彼は、9歳の時に教会で歌い始め、さまざまなゴスペルカルテットに参加。
その後、The Harmony Echoes (ハーモニーエコーズ)というグループで歌います。

その反面、私生活では10代で既に結婚しており、何人かの子供もいました。
したがって、カーは日雇いなどの仕事をして家族を養いながら、ゴスペルグループで歌っていたのでした。

そんな時期、カーは終生深く関わることになる人物と出会います。

その人物とは、カーが所属していたハーモニーエコーズに携わっていたRoosvelt Jamison(ルーズベルト・ジャミソン)でした。

彼はカーの才能をいち早く見抜いていました。そして同メンバーだったOVWright(OVライト)とともにカーをシンガーとしてデビューさせるためにマネジメントします。

1964年、サザンソウルのレーベルであるGoldwax Records(ゴールドワックス・レコード)にカーを紹介します。

同年カーはシングル曲「The world is out (You don’t want me)」、
OVライトは「That’s How Strong My Love Is」をリリースします。

どちらもジャミソン自らが書き下ろした曲でしたが、OVライトの方は後にOtis  Redding(オーティス・レディング)によってカヴァーされるなどヒット曲となりましたが、カーの方は期待したほどのセールスはありませんでした。

出典:amazon.co.jp

しかしこの後、OVライトは契約紛争などもあり、レーベルを移籍。
ジャミソンはカーのマネジメントに専念することになります。その後カーは立て続けににシングルをリリース。

”You don’t want me” / “Only fools run away” (1964)

“Lover’s competition” / “I can’t make it” (1964)

“Talk talk” / “She’s better than you” (1965)

“You’ve got my mind messed up” / “That’s what I want to know” (1966)

“Love attack” / “Coming back to me baby” (1966)

“Pouring water on a drowning man” / “Forgetting you” (1966)

これらのシングル曲は楽曲にも恵まれ、好セールスを記録。

その情感溢れる歌声はオーティス・レディングと比較されるほどになりました。
同期であり、かつて同メンバーでもあったOVライトもジェームスの声を羨んだといわれ、それがきっかけで疎遠になっていったと言われるほどでした。

そして1966年の終りに発売された“Dark End of the Street”
カーの代表曲であり、サザンソウルの傑作となりました。

この「The dark end of the street」はソウル・バラードの不朽の名曲としてAretha Franklin(アレサ・フランクリン)、Linda Ronstadt(リンダ・ロンシュタット)、Elvis Costello(エルヴィス・コステロ)、Ry Cooder(ライ・クーダー)など数多くのアーティストにカヴァーされています。

Interplay of light and shadow

唯一無二の歌唱を誇ったカーでしたが、オーティス・レディング(1941~1967)やサム・クック(1931~1964)などの他のソウルシンガーのようにスターダムを駆け上り、脚光を浴びることはありませんでした。

出典:amazon.co.jp

出典:amazon.co.jp

その才能を見出されデビューした1964年から1966年頃という僅か数年がカーの絶頂期でした

そしてその後、様々な要因が重なり彼の名は次第に表舞台から遠のいて行きます。

もともとカーが所属したゴールドワックス・レコードは1964年に、ギタリスト、ソングライターでプロデューサーでもあるQuinton Claunch(クイントン・クランチ)なる人物が、薬屋でもあったルドルフ・ラッセルから資金提供を受けて創立したレーベルでした。

(写真左:ルドルフ・ラッセル
中央:スタン・ケスラー【ミュージシャン兼プロデューサー】     右:クイントン・クランチ)

そしてそのゴールドワックスにカーを紹介したのが先述のルーズベルト・ジャミソン。
彼もマネージャー兼ソングライターでした。

カーを表舞台から遠ざけた原因は幾つかの要素が重なった為と記述しましたが、1つはこのゴールドワックス内にも生じた不協和音でした。

まず、ルーズベルト・ジャミソン。
前述のカーと共にデビューしたOVライトの楽曲を、彼がライティングしていたことでOVライトがゴールドワックスを脱退した後もその印税を巡ってトラブルとなっていました。

またジャミソン自身は、収入の不安定さを回避するため別に本業を持ち、他企業のサラリーマンであったためにカーの全てをフォローすることは不可能でした。

その上、創設者であるクイントン・クランチと出資者であるルドルフ・ラッセルにも齟齬が生じており、ゴールドワックスのこの重要な3名が互いに違う方向を向き始めてしまいます。

そして2つ目の要因はカー自身の問題でした。

実はカーは学習障害を患っていたとされており、その影響で文字を読むことも、書くことも出来ない文盲でした。
現在では一般に知られた発達障害ですが、当時はそれが障害であるとは認知されず、さらにこれらのことが原因か、カーは幼少の頃から極度の人見知りで引きこもりがちで躁鬱病(双極性障害)にも苦しんでいました。

そんな複雑な背景を抱える彼を見出し、言葉を伝え、ソウルシンガーへと導いたジャミソンは、カーにとって全幅の信頼を寄せる存在でした。
しかし、ゴールドワックス社内に起こった不和の連鎖、またそれに伴いジャミソンと疎遠になったことでカーは次第に精神のバランスを失ってしまいます。

文字も音符も読めなかったカーにはその耳だけが頼りでした。
初めに誰かが歌って見せ、それを聴いて覚え、歌うという手法でした。

しかも精神のバランスを失ったカーにとってこの作業は苦行以外の何物でもありませんでした。
ましてやシングルヒットで成功を収めていた頃のパフォーマンスを引き出すのはほぼ不可能。

セッションは困難を極めました。
マイクの前に座り、数時間もぼんやり座ったままのカー。
いつ歌いだすか分からない彼と向き合うスタッフの緊張とストレス。

全てが前代未聞の収録でした。

そして、リリースされたのがカーの1stアルバム「You Got My Mind Messed Upでした。

You Got My Mind Messed Up

You Got My Mind Messed Up (1966年)

出典:amazon.co.jp

  1. Pouring Water on a Drowning Man
  2. Love Attack
  3. Coming Back to Me Baby
  4. I Don’t Want to Be Hurt Anymore
  5. That’s What I Want to Know
  6. These Ain’t Raindrops
  7. The Dark End of the Street
  8. I’m Going for Myself
  9. Lovable Girl
  10. Forgetting You
  11. She’s Better Than You
  12. You’ve Got My Mind Messed Up

カーの初アルバムにしてサザンソウルの名盤の誉れ高い「You Got My Mind Messed Up」
稀代のシンガーといわれたカーの代表曲が収められています。

1.Pouring Water on a Drowning Man 2.Love Attack 6.These Ain’t Raindrops 12.You’ve Got My Mind Messed Upなどのヒット曲に加え、ジェームスの最高傑作といわれる7.The Dark End of the Streetと一聴の価値ありのアルバムです。

朴訥でいながら温かく深みのある歌声、さらに曲調によっては力強く訴えかけてくる自在な表現力。
同年代だったオーティス・レディングと比較されたのも頷けますし、遜色のないヴォーカルは圧倒的です。

そして印象的なのが、この情感溢れる歌声と相反するアルバム・ジャケットの憂いを含んだカーの表情。

皮肉にも、内密にしておきたいゴールドワックス内の混乱、そしてカー自身の苦悩がはからずも窺い知れる意味深なジャケットとなってしまいました。
しかしながら、そういった観点から改めて聴き直すと、新たに感慨深いものがあるのも事実。複雑です。

ご視聴はこちら↓

ジェームス・カーの「You Got My Mind Messed Up」をApple Musicで
アルバム・1967年・24曲

A MAN NEEDS A WOMAN (1968年)

出典:amazon.co.jp

  1. A Man Needs A Woman
  2. Stronger Than Love
  3. More Love
  4. You Didn’t Know It But You Had Me
  5. A Woman Is A Man’s Best Friend
  6. I’m A Fool For You
  7. Life Turned Her That Way
  8. Gonna Send You Back To Georgia
  9. The Dark End Of The Street
  10. Sowed Love And Reaped A Heartache
  11. You’ve Got My Mind Messed Up

ジェイムズ・カーの2nd「A Man Needs A Woman」。
1st”You Got My Mind Messed Up”のインパクトが強いため、印象が薄れがちですが、この2ndも1stと比べても遜色のない名盤です。

前作よりオルガン、ピアノのキーボードやストリングスがフューチャーされて原点であるゴスペルの雰囲気が感じ取れるアレンジになっています。まさにサザンソウルを代表するアルバムです。

このアルバムも1stの録音同様、カーの精神状態をうかがいながらの収録でした。

そして当然、そんな不安で沈鬱な空気感の中での活動の継続は、行き詰まりを見せ始めます。
ツアーにも出れない、まして歌うことも困難なカー。
そして彼を支えるスタッフの疲弊。さらに経営トップ2人の見解の相違。

これらのことから、1969年ゴールドワックス・レコードは廃業に至ります。

そして、わずかこの2枚のアルバムが、ゴールドワックスにおける事実上のカーの作品となりました。

ご視聴はこちら↓

ジェームス・カーの「A Man Needs a Woman」をApple Musicで
アルバム・1968年・24曲

To the dark period 

ゴールドワックス・レコードの廃業と共に、カーの存在も世の中から次第に薄れていきます。

1971年にアトランティック・レコードからシングルレコードが1枚リリースされましたが、カーの精神状態に改善の余地は見られませんでした。

1977年にはリバー・シティ・レコードからシングルをリリース。
またヴィヴィットサウンドからも、ゴールドワックス時代に残した未発表曲を11曲と別テイク曲を含んだ全14曲の編集盤アルバムがりりースされました。

復帰に期待が高まる中、1979年カーは日本公演の為来日を果たします。

実は、先の復帰シングルをリリースしたリバー・シティ・レコードはかつての盟友ジャミソンが設立したレーベルで、当然今回のツアーにジャミソンも同行していました。
ジャミソンのサポートもあり万全と思われたステージ。

しかし、現実は惨憺たるもの。
精神状態は改善しておらず、それを克服するために通常の倍の抗鬱剤を服用しており、さらにその薬の副作用で意識が朦朧とする状態でのライブ強行でした。
ステージ上でも突如固まったり、本来の彼の歌声を堪能出来る公演ではありませんでした。

そして80年代に入るとカーの姿は表舞台から完全に消え去っていきました。

それから90年代までの約10年間彼の精神状態は酷く、長い苦難の時期を迎えてしまうのです。

苦難の果てに

90年代に入るとカーの精神状態も落ち着きを取り戻し、再起の動きが出てきました。

出典:amazon.co.jp

出典:amazon.co.jp

1991年にはアルバム
「Take Me To The Limit」、
さらに1993年には
「Soul Survivor 」
と立て続けに2枚のアルバムをリリースし、カムバックを果たします。

しかし、往年のパワフルで情感溢れるヴォーカルを期待したリスナーからは、音程のブレや衰えを指摘する厳しい評価もありました。
彼のかつての歌声は、長いブランクの間に“一人歩き”してしまっていたのかもしれません。

賛否両論の中、完全復帰の期待に応えようとするカーでしたが、またしても試練が降りかかります。

1997年、カーは肺癌を患っていることが明らかになります。

My Soul Is Satisfied

再び闘病生活を強いられたカー。

片方の肺を切除する手術が行われ、治療が続けられましたが、2001年逝去。
58歳という若さでした。

そしてカーの死後、2004年にリリースされたアルバム「My Soul Is Satisfied

My Soul Is Satisfied (2004)

出典:amazon.co.jp

1. Pouring Water on a Drowning Man
2.Love Attack
3.What the World Needs Now Is Love
4.She’s Better Than You

5.I Can’t Help Myself
6.Woman Is a Man’s Best Friend
7.Losing Game
8.Row, Row Your Boat
9.Hold On
10.I’ll Put It to You
11.Let Me Be Right
12.Bring Her Back
13.Hit and Run
14.Woman’s Got the Power
15.Hungry for Your Love
16.It’s Sweet on the Backstreet
17.Dark End of the Street
18.I’m Gonna Marry My Mother-In-Law
19.That’s When the Blues Began
20.Try My Love
21.Jordan River
22.He’ll Be There AKA You’ve Got a Friend
23.My Soul Is Satisfied

初期から晩年の2000年までのテイク曲からアルバムに未収録だった楽曲を集めた作品です。

ソウルシーンから取り残されたイメージが付きまとうカー。
復帰後もそのイメージは払拭できず、低評価に繋がってしまいました。

しかし、そのような評価よりも、想像を絶する苦難を乗り越えてカムバックしたカーにとっては、純粋に歌える事自体に喜びを見出していたのではないでしょうか?

それを表しているのが
21.Jordan River 
22.He’ll Be There AKA You’ve Got a Friend 23.My Soul Is Satisfiedの3曲です。
1994年に録音されたこれらの曲は、以前囁かれたカーの低評価を覆すものです。

初期のような張りのあるヴォーカルではないにしても、力強く、まさに「謳歌」した「声」が残されています。

確かにカーの生涯は不運と苦難の連続だったと言えるでしょう。
しかしそんなカーを、単に“悲運の伝説のソウルシンガー”と位置付けてしまうのは大きな誤りでした。

「My Soul Is Satisfied」
このタイトルが全てを表しているのではないでしょうか?

純粋に“歌う喜び”を体現した稀代のシンガーでした。

 

参考文献:Peter Guralnick著「 Sweet Soul Music」 「the essential james carr」ライナーノーツ
タイトルとURLをコピーしました