Irregular referrals
不定期なアルバムジャケットのご紹介シリーズ第3弾です。
今回は邦盤に注目してみました。
歴史的な名盤からあまり知られていないアルバムまで羅列してみました。
相変わらずの独断と偏見によるチョイスはご了承下さい。
それぞれに個性的なアートワークをご覧ください。
はっぴいえんど 「風街ろまん」 (1971年)
- 抱きしめたい
- 空いろのくれよん
- 風をあつめて
- 暗闇坂むささび変化
- はいからはくち
- はいから・びゅーちふる
- 夏なんです
- 花いちもんめ
- あしたてんきになあれ
- 颱風
- 春らんまん
- 愛餓を
「日本語によるロック」論争の起点となったはっぴいえんど。
1971年にリリースされた2枚目のアルバムがこの「風街ろまん」。
当時、批評家や芸術界に大きな影響を与え、はっぴいえんどの傑作と評され、今でも多くのリスナーに支持されている名盤です。
サウンドもさることながら、印象的なアルバムジャケットも有名なことで知られています。
白をバックにメンバーの顔が描かれたシンプルなデザイン。
さらにリアルなその表情はアルバムの存在感を際立たせています。
実はアルバム制作当初考案されていたデザインは、全く別のものでした。
最初は漫画家である宮谷一彦氏が描いた路面電車が走る街「風街」をイメージしたものでした。
※イラストはライナーノーツ見開きに掲載されています。
しかし、宮谷氏本人の案により、白地にメンバーの顔が浮かび上がるようなデザインに変更。
そこで、1stアルバム「はっぴいえんど」でもジャケットのアートワークに参加した写真家・野上眞宏氏に撮影を依頼、元となるポートレートを撮りました。
そしてその肖像写真に、宮谷氏が陰影や修正を描き加えたものが採用されました。
野上氏が撮影した元写真は、1999年に再リリースされたシングル「あしたてんきになあれ」のジャケットデザインとして使われました。
わずか3年という短い活動期間ながら、日本ロック創成期に大きな貢献を果たしたはっぴいえんど。
その軌跡を辿るに相応しい1枚です。
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JAGATARA(じゃがたら) 「南蛮渡来」 (1982年)
- でも・デモ・Demo
- 季節のおわり
- BABY
- タンゴ
- アジテーション
- ヴァギナ・Fuck
- FADE OUT
- クニナマシェ
JAGATARA(じゃがたら)は、不世出のヴォーカリスト・江戸アケミをリーダーとしたファンク・ロックバンド。
1970年代末から活動を開始、途中休止期間などを経て、1989年にはアルバム『それから』でBMGビクターよりメジャーデビュー。
ファンク、アフロ、レゲエ、パンクなどが混然とした独特なサウンドは、批評家達から絶賛され、音楽的にも高評価を得ました。
ここで取り上げたのは、1982年に自主レーベルのUgly Orphans Recordsからリリースした1stアルバム「南蛮渡来」。
このアルバムはじゃがたらの前身名「暗黒大陸じゃがたら」名義で発表されており、この後バンド名は「じゃがたら」、「JAGATARA」へと変化。
いわば原点となったアルバムです。
アルバムはオレンジの下地の中央に江戸アケミとチンパンジーのモノクロスチールを配したシンプルなデザイン。バンド名の書体を含め印象的なアルバムです。
またこの1stアルバムは時間の経過とともに何度か再プレスされており、現在までに4パターンのアルバムバージョンがあるといわれています。
上述の1st.プレスと2nd.プレスのDoctor Records盤は、ほぼ同じジャケットですが、レーベル名の印字とジャケットカラーが1st.プレスがオレンジ、2nd.プレスは黄色と微妙に色が違うもの。
そして3パターン目は1985年のDoctor Records再発盤で、メンバーのOTOの実家(富山)の庭のジャケット。そして4パターン目は1987年の同じくDoctor Recordsによる再発盤で富士山をモチーフにしたデザインになっています。
この2種類は、いずれもイラストレーターのヤギヤスオ(八木康夫)氏によるジャケット・デザインとなっています。
JAGATARAは1990年、江戸アケミの入浴中の事故死により解散するまで、通算6枚のスタジオ・アルバムをリリース。
江戸アケミの死後もJAGATARAへの再評価や関心は高く、その後のシーンに多大な影響を与えました。
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THE STALIN (ザ・スターリン) 「虫」 (1983年)
- 水銀
- 365
- 泥棒
- 天プラ
- Fifteen (15才)
- ING, O! (夢遊病)
- Die In
- 取り消し自由
- Go Go スターリン
- Nothing
- アザラシ
- 虫
THE STALIN(ザ・スターリン)は、 遠藤ミチロウを中心に1980年に結成された、日本を代表するパンク・ロック・バンド。
攻撃的なハード・コア・サウンドと、言葉遊びやアイロニーを含んだ独自視点の歌詞が特徴でした。
1983年にリリースされた3rdアルバムがこの「虫」。
過激なライヴパフォーマンスや、度重なる破壊活動による会場締め出しなどによって、メディアで話題となり、ザ・スターリンが注目を集めるようになった時期でもありました。
(丸尾末広『少女椿』青林工藝舎)
丸尾氏独特のレトロ感あるタッチのジャケットと、過激なザ・スターリンとのギャップのある組み合わせのセンスが秀逸。
また映画『怪傑黒頭巾』は東映が版権を所有しているため、著作権問題に配慮して額に星印が付けられました。
さらに初回限定盤では、穴あきのレコードジャケットになっており、上記の絵が見えるようになっていました。
過激なライヴ、会場締め出し、メンバー間の確執、パンク・ロックの過激なイメージと裏腹に、遠藤ミチロウの知的センス、サウンドの変化など何かと話題に事欠かなかったザ・スターリンでしたが、80年代の日本のパンクシーンを牽引したバンドであり、その存在感は唯一無二のものでした。
日本のパンク・ロックの傑作アルバムです。
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ARB 「砂丘1945」 (1985年)
- 明日かもしれない (MAY BE TOMORROW)
- 闇をぶっとばせ!
- Deep Inside
- あの娘はアトミック・ガール
- AFTER ’45
- THE WORKER
- THE BOXER
- 黒いギター (PASSION! NOT, FASHION!)
- September Moonlight
- 波止場にて (マーロン・ブランドに捧ぐ)
「砂丘1945」は1985年にリリースされたARBの8枚目のスタジオ・アルバムです。
ARBは、元々Alexander Ragtime Band(アレキサンダー・ラグタイム・バンド)というバンド名でしたが、そのイニシャルを取って「ARB」が正式名称に。
ギターの田中一郎を中心に石橋凌らと1977年に結成。
労働者や社会的な内容の楽曲が中心で、それらは「Work Song」と呼ばれ、ARBは社会派ロックバンドといわれました。
アルバム「砂丘1945」はバンドの知名度を上げるため、石橋凌が松田優作が監督の「ア・ホーマンス」に出演した時期に当たり、「5.AFTER ’45」は映画の主題歌に使用されました。
石橋凌が俳優としても活動していく転機ともなった1枚です。
アルバムジャケットは写真家・植田正治によるもので、海を背景にメンバーの後ろ姿を撮影したもの。
モノトーンで収められ、アート色が強いデザインです。
植田正治写真集「吹き抜ける風」より
植田正治氏は日本を代表する写真家で、その前衛的な演出写真は「Ueda-cho」(植田調)として知られ、世界的にも評価が高く、多くの作品を世に送り出しました。
写真界に多大な影響を与え、今でも多くの支持を集めています。
アルバム裏は表の写真とは逆に、メンバーがこちらに顔を向けている写真が使われています。
ARB中期を代表するアルバム「砂丘1945」。
骨太でタイトなサウンドはまさに「Work Song」と呼ぶに相応しい名盤です。
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THE FOOLS 「 Weed War」 (1984年)
- MR.FREEDOM
- GIVE ME CHANCE
- わけなんかないさ
- いつだってそうさ
- WASTIN’ TIME,OFF YOUR BEAT
- つくり話
- 空を見上げて
80年代アンダーグラウンド・シーンを代表する伝説のロックバンド THE FOOLS 。
THE FOOLSは1970年代後半の「東京ロッカーズ」、そして東京ロッカーズの第二世代といわれた「東京ニューウェーブ」と受け継がれた流れの中から結成されたバンドです。
独特のグルーヴ感を生み出す名ギタリスト・川田良と唯一無二の存在感を放つボーカリスト・伊藤耕を中心にロックの根源を一途に体現。
ミュージシャンのみならず多くの表現者に影響を与え続けてきました。
そのTHE FOOLSが1984年にリリースしたアルバムが「Weed War」。
1stアルバムにして最高傑作との誉れの高いアルバムです。
プロデュースはじゃがたらのOTOとTHE FOOLSとの共同プロデュースによるもの。
じゃがたらとの関連性が垣間見えます。
日本のパンク~ニューウェーブ、ファンク、ジャズ、ロックなど、80年代混沌の時代のリアルなサウンドを自由自在に操る手腕は比類の無いもの。
熱気とグルーヴをまとった必聴の1枚です。
アルバムジャケットのデザインはヤギヤスオ(八木康夫)氏。
前述のじゃがたらや細野晴臣のジャケットデザインを手掛けたイラストレーターです。
正統派ロックのサウンドに不釣り合いの違和感のあるジャケットですが、逆に功を奏し名盤ジャケットと評されました。
ヴォーカルの伊藤耕は、最初このジャケが気に入らなかったらしく、ヤギ氏が「ニッポンの母だ」だと説明すると納得したというエピソードがあります。
ドラッグ、逮捕、伊藤耕の獄中死と、波乱と葛藤の渦中を漂泊したバンドTHE FOOLS。
後にも先にも存在しない孤高の日本のロック・バンドでした。
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YMO 「増殖 – X∞Multiplies」 (1980年)
- JINGLE “Y.M.O.”
- NICE AGE
- SNAKEMAN SHOW
- TIGHTEN UP (JAPANESE GENTLEMEN STAND UP PLEASE!)
- SNAKEMAN SHOW
- HERE WE GO AGAIN ~ TIGHTEN UP
- SNAKEMAN SHOW
- CITIZENS OF SCIENCE
- SNAKEMAN SHOW
- MULTIPLIES
- SNAKEMAN SHOW
- THE END OF ASIA
YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)は1978年に細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人によって結成。
1980年代初頭のテクノ / ニュー・ウェイヴのムーブメントを牽引。
当時最先端のサウンドだったシンセサイザーとコンピューターを駆使した斬新な音楽で世を席巻。
あらゆる分野に影響を与えた世界的なバンドでした。
アルバム「増殖 – X∞Multiplies」は1980年にリリースされたYMOの4枚目のアルバムです。
前作3枚目のアルバムはワールドツアーを収録した初のライヴアルバム「PUBLIC PRESSURE/公的抑圧」。
新作アルバムへの期待が高まる中、リリースされた「増殖 – X∞Multiplies」は意外なものでした。
楽曲の合間に、当時ラジオを中心に活躍していたユニット「スネークマンショー」によるコントが挿入され、楽曲もそのコントのコンセプトに合わせて作られた企画アルバムでした。
また内容もさることながらジャケットも秀逸。
大人数の細野、高橋、坂本が同じ表情で整列している構図「増殖」は、フィギュアなどの概念があまりない当時では、想定外で見事な違和感がありました。
ジャケットで使われた3人の人形は、当時YMOがテレビCMに出演していたフジカセットの新聞広告で使われていたものでした。
人形の製作者は市田喜一氏。
人形は各メンバーにつき100体、合計300体が製作されました。
またアルバム自体も従来とは異なった形態で販売されました。
当時YMOの3人は多忙のため多くの曲を製作する時間も無かったため、曲数が足りずレコードサイズがひと回り小さい10インチのミニアルバムとなりました。
そのため12インチ盤のジャケットの大きさに合うように、段ボール製の赤色の外枠にはめ込まれた形でリリースされました。
またその外枠の裏面には、収録してあるスネークマンのギャグ・コメントが書かれていました。
人気絶頂時にギャグ満載でシニカルな一面を見せた、毒気を孕んだアルバム「増殖 – X∞Multiplies」。
その後の3人の活躍は言うまでもありません。
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早川義夫 「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」 (1969年)
- わらべ唄
- もてないおとこたちのうた
- 無用ノ介
- シャンソン
- サルビアの花
- NHKに捧げる歌
- 聖なるかな願い
- 朝顔
- 知らないでしょう
- 枕歌
- しだれ柳
- 埋葬
1965年頃から活動を開始したジャックス。
グループサウンズに影響を受けながらも、アンダーグラウンドなフォークの色合いを含んだその独特な音楽はサイケデリック・ロックと呼ばれ、解散後「はっぴいえんど」などと並んで日本のロックの先駆者として高い評価を受けるようになりました。
そのメンバーで中心人物だった早川義夫が、ジャックス解散後の1969年にURCレコードからリリースした初のソロ・アルバムが「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」。
端的に言えば、限りなく暗く陰鬱なアルバム。
全編を通してほぼ弾き語りで、閉塞感や否定的な怨念にも似た言葉が綴られた楽曲が並びます。
日本音楽史上、稀に見るダウナーな情念に満ちた作品。
そして、そんなネガティブな内容を象徴するかのようなアルバムジャケット。
不気味な人形を抱いた、青白い少女が印象的過ぎるデザイン。
初回プレスはダンボール紙にイラストやタイトルなどを切り取って貼りつけた、手作り感ある珍しいデザインでした。
再発盤からは印刷に変更されています。
またジャケット裏には、早川義夫自身による「能書」なるものが記載されています。
~(中略)~
僕は、回転数を間違えたようなこれらの詞曲を、甘えたくて甘えたくてしょうもない人に聞いてもらいたい。」
冒頭1曲目を聴いた途端に“ただならぬ”アルバムであることが分かり、どんどん引きずり込まれていく感覚。
シンプルな伴奏と重く切ない言葉、そして御詠歌のような歌唱で独自の世界観を表現した「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」。
日本音楽史に残る、独創性に富んだ類い稀な名作です。
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SHEENA & THE ROKKETS 「真空パック」 (1979年)
- BATMAN THEME
- YOU MAY DREAM
- センチメンタル・フール
- オマエガホシイ
- レイジー・クレイジー・ブルース
- 恋のムーンライトダンス
- STIFF LIPS
- HEAVEN OR HELL
- I GOT YOU,I FEEL GOOD
- YOU REALLY GOT ME
- RADIO JUNK
- ロケット工場
SHEENA & THE ROKKETS(シーナ&ザ・ロケッツ)は1978年、元サンハウスのギタリスト鮎川誠と、妻であるシーナによって結成。
翌1979年、移籍先のアルファレコードからリリースされた2ndアルバムが「真空パック」。
当時アルファレコードにはYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が所属。
実は鮎川誠は、以前サンハウス時代に福岡でサディスティック・ミカ・バンド(高橋幸宏在籍)と共演。
互いに顔見知りの存在でした。
その後、1978年にシーナ&ザ・ロケッツとしてElvis Costello(エルヴィス・コステロ)の日本ツアーで前座を務め、この時の演奏を観ていた高橋幸宏がシーナ&ロケッツを細野晴臣に紹介。
これをきっかけにアルファレコードに移籍。
そしてYMOの協力の下、制作されたのが「真空パック」でした。
アルバムタイトル「真空パック」はシーナの発案。
これに呼応して初回プレスはメンバーが全身をラッピングし、「真空パック」をなぞらえたアルバムジャケットでした。
この奇抜なアイディアは写真家の鋤田正義によるもの。
デヴィッド・ボウイ写真集などを手掛けた写真家でYMOの2ndアルバム「Solid State Survivor」のジャケットワークも彼によるものでした。
当初は注目を集め、センセーショナルに受け入れられましたが、リスナーは10代を含む若者が多く、ジャケットを真似して事故が起こるとクレームがつき、発売禁止となりました。
また、アルファレコードの社長(村井邦彦氏)から、メンバーをラップ巻きにしたため顔が見えず、
「鮎川誠とシーナのせっかくのルックスが台無しだ」とダメ出しを受けたこともあってその後、メンバーのモノクロ写真のジャケットに差し替えられました。
サウンド面としてはハリー細野(細野晴臣)プロデュース、YMOが全面参加ということでテクノとロックが融合した先駆的なサウンドになっています。
当時はテクノサウンドとの違和感に賛否両論ありましたが、やはり先見の明を持った斬新なアルバム。
シーナ&ロケッツを代表する名盤です。
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不定期なアルバムジャケットのご紹介シリーズ第3弾、いかがでしたでしょうか?
次回第4弾へつづく。