Buffalo Springfield(バッファロー・スプリングフィールド)。
1966年にカリフォルニアを拠点に結成、1968年に解散。
わずか2年の活動期間と短命に終わったバンドでしたが、70年代ウェストコースト・ロックに多大な影響を与え、アメリカ西海岸を代表する伝説的バンドとして知られています。
また日本でもそのサウンドに注目していたのが、ミュージシャン細野晴臣。
その後エイプリル・フールを経てはっぴいえんどを結成。
バッファロー・スプリングフィールドの音楽を手本に、日本語ロックを確立していくことになりました。
国内外を問わず多くのロック・バンドに影響を与えたバッファロー・スプリングフィールド。
その軌跡を辿ります。
1960s
1960年代はロックの黄金期と呼ばれ、多くのミュージシャン、バンドが輩出された時期でした。
’60年代初頭イギリスではビートルズが、アメリカ合衆国ではボブ・ディランがデビュー。
それまでのポップミュージックに台頭してロックが浸透していきます。
The beatles from:wikipedia
Bob Dylan from:billboard-japan
’60年代半ばになると、ロサンゼルスなど西海岸ベイエリアは反体制的なカウンターカルチャーの発信基地となり、ジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッド、ドアーズなどのバンドが活躍。
サイケデリック・ムーブメントが起こりロックは多様化していきます。
Jefferson Airplane From:sonymusic
Grateful Dead from:wikipedia
The Doors from:wikipedia
バッファロー・スプリングフィールドは、そのロック全盛期を疾走したバンドでした。
Buffalo Springfield
1960年代前半、一人の青年が、ニューヨーク、グリニッジ・ヴィレッジのクラブ「Cafe Au Go Go」を拠点とした、9人編成のコーラス・グループ「Au Go Go Singers」を結成。
彼の名はStephen Stills(スティーヴン・スティルス)。
後のバッファロー・スプリングフィールドの中心となる人物でした。
スティーヴン・スティルス rom:amass.jp
そしてその中には同じくバッファロー・スプリングフィールドのメンバーとなるRichie Furay(リッチー・フューレイ)も在籍。
このグループはアルバムを1枚リリースした後に解散。スティルスとフューレイは新たなバンド、ザ・カンパニーを結成し、このバンドで6週間程のカナダ・ツアーを敢行。
そしてこのツアーでNeil Young(ニール・ヤング)と出会うことになりました。
リッチー・フューレイ From:musiclifeclub.com
しかし、ザ・カンパニーも数ヶ月で解散。
スティーヴン・スティルスはカリフォルニアに移住します。
セッション活動やオーディションなどを受け活動をする中、バンドを必要とする仕事を依頼され、リッチー・フューレイをカリフォルニアに呼び共に活動を再開します。
一方、カナダのニール・ヤングは知人であったベーシストのBruce Palmer(ブルース・パーマー)の誘いを受け、The Mynah Birds(マイナー・バーズ)というバンドにギタリストとして参加。
マイナー・バーズはモータウンレコードと契約したものの契約金流用のトラブルや、リーダーであったリック・ジェームスが脱走兵だった事実が発覚。海軍による拘留などでバンドは消滅。
新天地での再スタートを期待してニール・ヤングとブルース・パーマーの2人はアメリカ西海岸に向かいます。
ニール・ヤング
From:rollingstonejapan.com
そして2人はロサンゼルスの路上で、カリフォルニアに在住していたスティーヴン・スティルス、リッチー・フューレイの2人と偶然再会。
この4人にThe Byrds(バーズ)のマネージャーであるジム・ディックソンの紹介で、ドラムのDewey Martin(デューイ・マーティン)が加わり、メンバーが揃いました。
バンド名のBuffalo Springfield(バッファロー・スプリングフィールド)は、実は当時彼らが住んでいた近所で見かけた、道路工事用車両のプレートから読み取れたメーカー『Buffalo-Springfield Roller Company』の名前から取ったもの。
こうして“バッファロー・スプリングフィールド”が誕生。
1996年4月のことでした。
For What It’s Worth
1966年4月にハリウッドのクラブ“トルバドール”で最初のライヴを行ったバッファロー・スプリングフィールド。
その後、バーズのChris Hillman(クリス・ヒルマン)の口添えにより2カ月間、Whisky a Go Go(ウィスキー・ア・ゴーゴー)というナイトクラブのレギュラーとして採用されました。
3人のリード・シンガーを擁した個性的なサウンドは評判を呼び、多くのレコード会社が興味を示しました。
こうして1966年12月にリリースされたデビューアルバムが「Buffalo Springfield」でした。
Buffalo Springfield (1966)
Neil Young: vocals, guitars, harmonica, piano
Stephen Stills: vocals, guitars, keyboards
Richie Furay: vocals, rhythm guitar
Bruce Palmer: bass guitar
Dewey Martin: drums, backing vocals
- Go And Say Goodbye
(VOCALS – RICHIE & STEVE) - Sit Down I Think I Love You
(VOCALS – RICHIE & STEVE) - Leave
(VOCALS – STEVE & RICHIE) - Nowadays Clancy Can’t Even Sing
(VOCALS – RICHIE WITH STEVE & NEIL) - Hot Dusty Roads
(VOCALS – STEVE WITH RICHIE) - Everybody’s Wrong
(VOCALS – RICHIE & STEVE WITH NEIL) - Flying On The Ground Is Wrong
(VOCALS – RICHIE WITH STEVE & NEIL) - Burned
(VOCALS – NEIL WITH RICHIE & STEVE (NEIL ON PIANO)) - Do I Have To Come Right Out And Say It (VOCALS – RICHIE WITH STEVE & NEIL (NEIL ON PIANO))
- Baby Don’t Scold Me
(VOCALS – RICHIE & STEVE) - Out Of My Mind
(VOCALS – NEIL WITH RICHIE & STEVE) - Pay The Price
(VOCALS – STEVE WITH RICHIE)
特徴的なのは3人のソングライターと2人のリード・ギタリストが在籍しているバンドだということ。
スティーヴン・スティルス、ニール・ヤング、リッチー・フューレイと3人がそれぞれ作曲し、さらにヴォーカル・ギターを担当しています。
アルバムのリリースに先立ち、1stシングル「Nowadays Clancy Can’t Even Sing」をリリースしましたが、残念ながら大きな反響は無く本アルバムがリリースされました。
またプロデュースを担当したCharles Greene(チャールス・グリーン)とBrian Stone(ブライアン・ストーン)はニール・ヤングの甲高い声に難色を示し、ヤングが手掛けた作品の大半を、リッチー・フューレイのリード・ボーカルに割り当てているのもこのアルバムの特徴と言えます。
全体的に脆弱なミックスのため、実際の彼等のライヴでのエネルギーが伝わりにくかったようで、売り上げは伸びませんでした。
その後第三弾シングル「For What It’s Worth」をリリース。
この曲はスティーヴン・スティルスによるもので、LAのナイトクラブの閉鎖に抗議し、サンセット・ストリップに集まった若者の群衆に対して、警察が行った暴力的鎮圧を問う楽曲で、全米7位の大ヒットとなりました。
当時の西海岸のカウンター・カルチャーを反映するナンバーとなり、バッファロー・スプリングフィールドの名前を知らしめることになりました。
このヒットにより、急遽アルバムのセカンド・プレス以降のリード・トラックが差し替えられ、このため曲目・曲順が違う2つのヴァージョンとさらにモノラルとステレオの計4種類のアルバム・ヴァージョンが存在することになりました。
フォーク・ロック、サイケデリック・ロックを踏破するロック創成期のサウンドです。
One trouble after another
才能溢れる個性的なメンバーで構成されたバッファロー・スプリングフィールド。
密度が高く調和のとれた良質の楽曲を作り出し、後に多くのミュージシャンに影響を与えたバンドでしたが、その反面トラブルが多く不安定なバンドでもありました。
1stアルバムリリース直後の1966年12月末からのニューヨーク公演中、アンプの音量をめぐって、ベースのブルース・パーマーとギターのスティーヴン・スティルスの間で諍いが発生。
またスティルスは、ヴォーカルを取りたがるドラムのデューイ・マーティンを疎んじていました。
さらに追い打ちをかけるかのように1967年1月、このツアーでパーマーがマリファナ所持で逮捕。
カナダに強制送還されてしまいます。
そんな中、上述の「For What It’s Worth」の大ヒット。
バンド内の諍いをよそにその知名度と人気は上昇していきました。
レコーディングやライヴなどで多忙になる中、パーマーの代役には多くのベーシストがセッションメンバーとして参加。
また、テレビ出演した「Hollywood Palace」ではベーシストが代役だと判らないように、観客に背を向けて顔を映さないよう椅子に座り、以前に収録した音源を流すという苦肉の演出がされました。
このように、何とかバンドとしての体裁を繋ぎ止めてはいるものの、プロデューサーのチャールス・グリーンとブライアン・ストーンに対する不満、さらにヤングとスティルスの対立などがあり、幾つものトラブルを抱えた状態に陥っていました。
Buffalo Springfield Again
その後パーマーが復帰するも、今度は上述のようなゴタゴタからヤングがバンドを一時脱退。
トラブルが続きます。
数ヶ月後にはヤングも一応バンドには復帰しますが、各メンバーの自己主張も強くなり、スタジオでの録音も共同作業という形態ではなくなっていました。
デビューから1年足らずの間にこれだけのトラブルが発生。
世間での人気をよそに、内部では混乱を極めていたバッファロー・スプリングフィールド。
しかし周囲ではこの人気に応えるべく、2ndアルバムリリースへの準備が進められていました。
販売元レコードレーベルの創設者アーメット・アーティガンの提案により、トラブルの一因だったプロデューサー問題は、前作のチャールズ・グリーンとブライアン・ストーンを降板させ、アーティガン自身がメインプロデューサーを務めることで納まりました。
何とかレコーディングも進み、こうしてリリースされたアルバムが『Buffalo Springfield Again』でした。
Buffalo Springfield Again (1967)
Neil Young: vocals, guitars
Stephen Stills: vocals, guitars
Richie Furay: vocals, rhythm guitar
Bruce Palmer: bass guitar
Dewey Martin: vocals, drums
- Mr. Soul
(Words and Music by Neil Young) - A Child’s Claim to Fame
(Words and Music—Richie Furay) - Everydays (Words and Music—Steve Stills)
- Expecting to Fly (Words and Music—Neil Young)
- Bluebird (Words and Music—Steve Stills)
- Hung Upside Down (Words and Music—Steve Stills)
- Sad Memory (Words and Music—Richie Furay)
- Good Time Boy (Words and Music—Richie Furay
- Rock & Roll Woman (Words and Music—Steve Stills)
- Broken Arrow (Words and Music—Neil Young)
このアルバムはグループで共同制作というスタイルではなく、それぞれの楽曲をバンドとして構築した形になっています。
スティルスが4曲、ヤングとフューレイが3曲ずつの10曲。
さらにヤングは今回プロデューサーに名を連ねるジャック・ニッチェと共同で実験的な曲作りを試みています。
楽曲はカントリー、フォーク、ブルースといったアメリカ音楽のルーツを基本に、ジャズ、ソウル、R&B、南米民族音楽、クラシックなどの要素を取り入れ、独創性に富んだサウンドを展開。
トラブル続きの中制作されたアルバムですが、奇跡的なバランスを保った優れた楽曲でバッファロー・スプリングフィールドの最高傑作と評される名盤です。
アルバムの中で聴かれる歪みのあるギター・サウンド。
蝉がジージー鳴くような音は1960年代に登場し、ギタリストによく使われたFuzz(ファズ)というエフェクターの音です。
現在では歪みをかけるエフェクターといえばオーバードライブやディストーションなどが主流ですが、ファズはその種類のエフェクターでは最も古いものです。
そのサウンドはシンプルゆえに奥が深く、一度はまると抜け出せないマニアックなエフェクターでもあり冒頭で述べた細野晴臣氏もそのサウンドに憑りつかれ影響を受けたと言われています。
また、アルバムジャケットをデザインしたのはEve Babitz(イブ・バビッツ)。
1970年代のアメリカの自由奔放なヒッピー~ドラッグ文化などの、カウンターカルチャーを体現した小説家であり、芸術家でもある人物です。
この「Buffalo Springfield Again」のアルバムデザインは彼女の代表作の1つとされています。
さらに興味深いのはジャケットの裏面で、メンバーが影響を受けたミュージシャン達の名が書かれていることです。
ジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、オーティス・レディング、チャック・ベリー、ジョン・コルトレーンなどあるゆるジャンルのミュージシャンが挙げられ、バッファロー・スプリングフィールドのサウンドのルーツを窺い知ることができます。
to break up
ウエストコーストロックの注目バンドとして人気の出てきたバッファロー・スプリングフィールドの2ndアルバム『Buffalo Springfield Again』。
セールス的にも好調で、さらにビーチ・ボーイズのツアーに同行するなど、ようやくバンドの状況が好転するかと思われた矢先の1968年1月、薬物不法所持のためパーマーが再び強制送還されてしまいます。
後任にはパーマーに替わって、以前からサポートメンバーとして参加していたジム・メッシーナがベーシストとして加入。
しかし、こういった諸々の状況からヤングもバンドから遠ざかるようになり、事実上の解散状態に陥りました。
さらに事件が起こります。
1968年3月ロサンゼルスを訪れていたエリック・クラプトンがドラッグ所持容疑で逮捕、そしてこれに連座してニール・ヤング、リッチー・フューレイ、ジム・メッシーナもドラッグ所持の容疑で逮捕されてしまい、バンド継続が不可能に。解散は決定的となってしまいました。
この件以降は契約を遂行するためだけの活動となり、ロング・ビーチ・アリーナでのコンサートを最後に解散。結成からわずか2年後のことでした。
Last Time Around (1968)
- On The Way Home (Neil Young)
- It’s So Hard To Wait
(Richie Furay & Neil Young) - Pretty Girl Why (Stephen Stills)
- Four Days Gone(Stephen Stills)
- Carefree Country Day(Jim Messina)
- Special Care(Stephen Stills)
- The Hour Of Not Quite Rain
(Richie Furay & Micki Callen) - Questions(Stephen Stills)
- I Am A Child(Neil Young)
- Merry-Go-Round(Richie Furay)
- Uno Mundo(Stephen Stills)
- Kind Woman(Richie Furay)
解散後、残った契約を満了させるため、リッチー・フューレイとジム・メッシーナによって、未発表音源とメンバー各自のソロ・セッションを寄せ集め編集された3rdアルバム「Last Time Around」がリリースされました。
当然のことながらアルバムの統一感は無いものの、メンバー各々の個性が浮き彫りにされたアルバムです。
奇しくもそれぞれの楽曲がカントリー・タッチのものが多く、後のカントリー・ロック・ブームを予見した作品と言われています。
また、アルバム・ジャケットではニール・ヤングだけが別方向を向いている写真で、バンド内での確執があった後の解散ということで色々な憶測を呼びました。
After Buffalo Springfield
メンバー間の対立や不祥事により短命に終わったバッファロー・スプリングフィールド。
時代を駆け抜けた異端のバンドでしたが、個々の才能は確かなものでした。
それは解散後のそれぞれの活動を見れば一目瞭然。
最後のアルバム「Last Time Around」に収録されているフューレイ作の「Kind Woman」。
この楽曲にスティール・ギタリストとして参加したのがRusty Young (ラスティ・ヤング)。
そしてこの収録をきっかけにリッチー・フューレイ、ジム・メッシーナとラスティ・ヤングの3人は「Poco」を結成。
ウエストコーストにおけるカントリー・ロック・ブームの先駆けとなりました。
一方、スティーヴン・スティルスは元バーズのDavid Crosby(デヴィッド・クロスビー)と元ホリーズのGraham Nash (グラハム・ナッシュ)と共にCS&N(Crosby, Stills&Nash)を結成。
その後ソロ活動をしていたニール・ヤングが参加し、 CSN&Y(Crosby, Stills, Nash & Young)となったもののバッファロー・スプリングフィールド時代のスティルスとの確執もあり再び対立。
共に活動したのは1年足らずでした。
しかし、その後のニール・ヤングの活躍は言わずと知れたこと。
1995年にはロックの殿堂入りを果たしています。
際立った個性が集まり軋轢を生じながらも、時代をリードする質の高い音楽を発信し続けたバッファロー・スプリングフィールド。
1970年代以降のロックシーンをリードするミュージシャンを輩出し、その影響は多大なものでした。