Charlie Christian(チャーリー・クリスチャン)。
1930年代後半から1940年代前半にかけて彗星のごとく現れたギタリスト。
音楽界に革新をもたらしたモダン・ジャズ・ギターの開祖であり、ジャズのみならず、現在のあらゆるジャンルのギタリストの歴史を語る上で最も重要な人物です。
しかし、チャーリー・クリスチャン本人のリードアルバムは無く、バンドのメンバーとしてやセッションメンバーとしての音源しか残されていません。
音楽界に鮮烈な足跡を残し、25歳で夭折したギタリストの功績を探ります。
Charlie Christian
Charlie Christian(チャーリー・クリスチャン)。
1916年7月29日アメリカ合衆国テキサス州ダラス生まれ。
両親はともに音楽家であり、特にギタリスト兼ボーカリストであった父クラレンス・ヘンリーの影響もあり、幼少期から音楽を教わりました。
その後オクラホマへ移住。
オクラホマシティのダグラス高校に進学、さらに音楽を学びました。
彼が生誕し少年期を過ごした1920年代のアメリカ合衆国、その時代は狂騒の20年代といわれ、社会、芸術、文化の力強さが増した時代で、製造業の成長、消費者需要の加速、生活様式の大きな変化があった時期です。
また、アメリカ合衆国で最初のラジオ放送が開始。
それと共にジャズの人気が拡がった時代でもありました。
そしてチャーリー・クリスチャンは1930年代に入るとギタリストのラルフ・ハミルトンから流行していた“ジャズ”を教わり、ピアニストとしてミュージシャン活動を開始。中西部各地の州を巡業するようになります。
1937年、チャーリーに転機が。
カウント・ベイシーのギタリスト、Eddie Durham(エディ・ダーラム)と出会います。
彼はアンプリファイド・ギター・ソロの初期の録音者として知られる人物です。
そのアンプを通したエレキギターの音色の虜となったチャーリーは、ダーラムにエレキギターの基本的なアドバイスを請うことに。
こうしてギターに転向、エレキギターを弾き始め、次第にその演奏は人気を博していきます。
Good luck and bad luck
1939年、音楽評論家でもあったJohn Hammond(ジョン・ハモンド)にスカウトされ、ベニー・グッドマンの楽団のオーディションを受けます。そこでチャーリーは見事な即興演奏を披露。ベニー・グッドマン楽団への加入を認められました。
ちなみにこの時、チャーリーは自分のギターを持っておらず、友人のLes Paul(レス・ポール)からギターを貰って演奏したという逸話があります。
同年9月、新しく結成されたベニー・グッドマン・セクステットにチャーリーも加入。
同メンバーには、 Lionel Hampton(ライオネル・ハンプトン)、 Fletcher Henderson(フレッチャー・ヘンダーソン)、Artie Bernstein(アーティー・バーンスタイン)、Nick Fatool (ニック・ファトゥール)らが名を連ねました。
Charlie Christian with The Benny Goodman Sextet and Orchestra
- Blues In B
- Wholly Cats
- Till Tom Special
- Gone With “What” Wind
- Breakfast Feud
- Air Mail Special
- Waitin’ For Benny
- A Smo-o-o-oth One
- Seven Come Eleven
- Six Appeal
- Gone With What Draft
- Solo Flight
その頃の音源を集めたアルバムが
「Charlie Christian with The Benny Goodman Sextet and Orchestra」です。
1939年〜1941年のスタジオ録音音源を集めたアルバムで、当時のチャーリー・クリスチャンの演奏を聴くことができます。
彼の演奏はアルペジオとシンコペーションのリズムに満ちており、そのすべてが流暢でした。
さらにそれまでリズム・セクションとして用いられていたギターをソロとして演奏。
いわゆるギター・ソロを初めて取り入れたもので、単弦のメロディから長く曲がりくねったメロディラインまで弾きこなし、既成概念を打ち崩す画期的な奏法でした。
12.「Solo Flight」はホルンのような音色で直感的なスウィング、流れるようなシングルノートといった、後のギターの醍醐味である要素を登場させた重要なナンバーとして知られています。
ギターという楽器の音の可能性を広げた第一人者の貴重な音源です。
こちらは「Solo Flight」と同様にチャーリーのソロギタープレイの代表的なナンバー「Rose Room」。
また、コンピレーションアルバムですので、上述のメンバー以外にも Count Basie(カウント・ベイシー) (tracks: A2 to A5, B5)や Dave Tough (デイヴ・タフ)(tracks: A1, A6 to B2)などが共演したテイクも収録されており、楽曲ごとに違ったニュアンスを聴くことができます。
ジャズシーンに突如として現れたジャズ・ギターの開祖の、革新的で躍動感溢れるサウンドが凝縮された1枚です。
“前代未聞”のギター・プレイで一躍注目されるミュージシャンとなったチャーリーですが、一方で難題を抱えることに。
健康面で結核に感染してしまいます。
実はベニー・グッドマン楽団へ加入するのと同時期の1930年代後半頃から罹患しており、療養を要する状態でした。
医師からも摂生し療養するよう言われていたにもかかわらず、ライブやセッションは減るどころか増加。
人気と共に多忙となり、加えて不規則で破天荒な生活習慣を止めることはありませんでした。
ちなみに1940年代初頭の当時、結核はアメリカで主要な死亡原因の一つであり、特に都市部や貧困層で蔓延。さらに結核の特効薬はなく、療養所での安静が主な治療法でした。
後にワクスマンによって抗生物質ストレプトマイシンが発見されるまでは治癒困難な病でした。
BeBop Jazz
ベニー・グッドマン楽団での演奏の傍ら、ニューヨークのクラブで様々なミュージシャンと夜な夜なジャム・セッションを繰り広げその演奏スタイルを確立していったチャーリー。
そのスタイルは後にBeBop(ビバップ)といわれるジャズ史の重要なジャンルとなり、Dizzy Gillespie(ディジー・ガレスピー)、Thelonious Monk(セロニアス・モンク)、Kenny Clarke(ケニー・クラーク)らとともにこのビバップの先駆けとして多大な影響を与えていきます。
そんなジャムセッションの模様を収めたのが
「Jazz Immortal – After Hours Monroe’s Harlem Mintons 」。
「ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン」の邦題で知られる名盤です。
Jazz Immortal – After Hours Monroe’s Harlem Mintons (1957)
- Swing To Bop
- Stompin’ At The Savoy
- Up On Teddy’s Hill
- Stardust
- Kerouac
- Stardust
- Guy’s Got To Go
- Lips Flips
録音は1941年のもので、「ミントンズ・プレイハウス」というクラブで行われたジャム・セッションの模様を、アマチュアでコロンビア大学の学生だったJerry Newman(ジェリー・ニューマン)という人物が録音したもの。
おそらくマイク一本での簡素な機材の録音であったろうとされ、音質も粗いですが、かえってセッションの模様が生々しく記録され、ライブ感が伝わってくるアルバムです。
アルバムタイトルに「Charlie Christian・Dizzy Gillespie」と表記されているようにディジー・ガレスピーとの二人の名が記され、残念ながらチャーリーのリーダーアルバムではありません。
しかしながらその存在感は圧倒的で、後に皆ジャズ界において巨匠とされる、他のセッションメンバーを凌ぐ演奏を披露しています。
ちなみに本アルバムのセッションメンバーは
Bass – Nick Finton
Drums – Kenny Clarke
Guitar – Charley Christian
Piano – Kenny Kersey, Thelonious Monk
Tenor Saxophone – Don Byas
Trumpet – Dizzy Gillespie, Joe Guy
まさに前述のビバップ創生の面々が揃った貴重なアルバムでもあります。
ベニー・グッドマン楽団では、ある意味制約のある演奏となるチャーリーですが、ここでのセッションはいわゆる“時間外”の演奏。
自由で躍動感溢れるソロ・プレイが聴け、チャーリーの充実したジャムセッションをうかがうことができます。
チャーリーのギタープレイの代表的なナンバーである冒頭の1.「Swing To Bop」。
続く2.「Stompin’ At The Savoy」 、5.「Kerouac」と名曲揃いのジャムセッションを聴くことができます。
強調されたオフ・ビート、ドミナントでのコード分解やクロマチック奏法など、ビバップの原形が記録された歴史的な重要アルバムです。
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Gibson ES-150
クリスチャンのギターソロの音はよく「ホーン風」と評されますが、その要因は彼の学生時代まで遡ることになります。
ダグラス高校ではテナーサックスを学ぶことを望みましたが諸事情により断念。
しかしその音色は後々も彼にとって魅力的なものであったらしく、自分の弾くギターの音色をテナーサックスのような音にしたいと語っていたといわれています。
その意味では、初期のアコースティック・ギタリスト達の音よりも、Lester Young(レスター・ヤング)やHerschel Evans(ハーシェル・エヴァンス)といったテナーサックス奏者の影響を受けていると言えます。
そういったホーンのようなギターサウンドは
Gibson (ギブソン)ES-150というギターによってもたらされました。
1936年に発表され、1937年に大量出荷されたES-150。
本格的な世界最初のエレクトリックギターとされる逸品です。
当時はエレキギターが出回り始めた頃で、音を出す専用のアンプもなく、ギブソンがアンプも製造。セットで販売していました。
それがEH-150というアンプで、セットで150ドルでした。
Gibson ES-150
チャーリーはこのギブソンのセットを愛用。
ちなみにアンプは定時後のジャムセッションのために、ミントンズの店内に置いておくほどの入れ込みかたでした。
このES-150とEH-150の組み合わせは、チャーリーのソロ・スタイルを特徴付けるホーンのような単音ラインに最適な、厚みのあるセミクリーン・トーンを生み出しました。
確かに現在の技術基準からすれば最小限な機能ですが、そのサウンドは当時としては非常に革新的なものでした。
さらにチャーリーが1930年代に創り出したこの基本トーンは、現在に至るまで“ジャズ・ギター・サウンド”のスタンダードとなっています。
Only three years, but still three years
1940年になるとチャーリーは体調が悪化。一時、短期入院の措置に。
翌1941年には退院しニューヨークに戻り活動を再開。
前述のようにベニー・グッドマン楽団との演奏を終えると、ハーレムのクラブで深夜ジャムセッションを行うなど不規則で多忙な生活に戻りました。
しかし、またすぐに結核療養施設に入院。
症状は回復せず、1942年3月2日、結核のため亡くなりました。
25歳という若さでした。
ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカーと並び称される偉大なジャズの先駆者で、現代ジャズ・ギターの開祖とされるチャーリー・クリスチャン。
その類まれな才能でジャズシーンに登場し、あっという間に時代を駆け抜けていきました。
その期間は僅か3年間。
しかしその功績は何十年もかかるかもしれない偉大な“革新”でした。
事実その3年間、1939年から1941年にかけて、クリスチャンはダウンビート誌でアメリカ最高のギタリストとして評価されました。
そして彼の死後もその評価は衰えることなく、ジャズギター部門の投票では2年続けて首位に選出。
またその影響は多大なもので、ウェス・モンゴメリー、バーニー・ケッセル、ケニー・バレル、グラント・グリーン、ジム・ホールなどのジャズギターの偉人達のみならず、ブルースのT・ボーン・ウォーカー、B・B・キング、ロックン・ロールのエディ・コクラン、チャック・ベリー、ジャマイカ・スカのアーネスト・ラングリン、さらにカルロス・サンタナ、ジミ・ヘンドリックスと枚挙にいとまがありません。
チャーリークリスチャンは単なるギタリストではなく、パイオニアであり、6弦ギターの可能性の限界を再定義した名手でした。
Celestial Express (1999)
- Good Mornin’ Blues
- Way Down Wonder In New Orleans
- Pagin’ The Devil
- One Sweet Letter From You
- I Got Rhythm
- Stardust
- Tea For Two
- Haven’t Named It Yet
- Stardust (Again)
- Wrap Your Troubles In Dreams
- Jammin’ In Four
- Profoundly Blue
- Celestial Express
- Blues In B
- Waitin’ For Benny
- Swing To Bop
- Stompin’ At The Savoy
チャーリーの没後80年以上が経ちましたが、その人気は衰えることなく、現在でも新たな音源などを集めて編集されたコンピレーションアルバムがリリースされています。
Celestial Expressは1999年にリリースされたアルバムです。
ベニー・グッドマンが参加していない音源ばかりを集めたコンピレーションアルバムで、7.「Tea For Two」などJerry Jerome(ジェリー・ジェローム)とのライブ音源はドライブ感あるナンバー。
また、11.「Jammin’ In Four」などEdmond Hall(エドモンド・ホール)とのスタジオ音源はチャーリーがアコースティックギター(Gibson L-5)で演奏をしており貴重な音源です。
13.「Celeste Express」はマンハッタンのリーブス・サウンドで行われた、Alfred Lion(アルフレッド・ライオン)のブルーノート・レーベルのためにブッキングされた「Celeste Quartet」セッションで録音された曲です。
チャーリーのソロはありませんが、リフに徹したプレイも必聴です。
エレクトリックギターの歴史とジャズの歴史を変えた、チャーリー・クリスチャン。
是非とも一聴していただきたい、ギタリストの礎となった夭折の偉人です。