インパクトのあるアルバムジャケット。印象的です。
アーティスト名・タイトル名は共に「SOVORY」。
ジャケットからは、ジャンルを窺い知ることもできず。
ただ、気になる。なんだこれは?
1996年、店頭に並べられた幾多とあるアルバムの中で見つけた1枚。
実は知る人ぞ知る名盤で、現在でも根強い人気を持つアルバムです。
しかし、「SOVORY」名義のアルバムはこの1枚のみ。
アルバムに関してもライナーノーツなど限られた情報しかなく、その詳細は不明。
謎多きアーティストであり、「過小評価されたアーティストの一人」とも言われています。
忽然と現れ、忽然と消えた「SOVORY」。
一体何者なのか?
彼の軌跡を辿ります。
SOVORY
これが「SOVORY」の音。
このアルバムの中でも人気の高い楽曲です。「SOVORY」の代表曲とも言えるでしょう。美しい曲です。
そして「SOVORY」とは?
(英語の発音表記は、sah-vor-ee)。一風変わった名前だが…。
アルバム「SOVORY」ライナーノーツより
実は「SOVORY」という名はフランス系の名前で、彼の父親がルイジアナ州生まれのケイジャン(フランス人の移民の子孫)でそこに由来を持つ発音だそうです。
しかし、そのまま素直にソボリーと読んだ方が良いかもしれません。サイトでは“サヴォリー”という発音ではなく、“ソボリー”と発音した翻訳のほうが多いからです。
本名 Allen Sovory(アレン・ソボリー)。サンフランシスコ生まれ。
父親は牧師であり、その影響からか3歳の時からゴスペルに親しみ歌い始めるようになります。
一方で厳格な家庭で、テレビの娯楽番組やポップ・ミュージックなどに触れる機会は無く、代わりにクラッシック音楽や演劇などを勧められ、芸術的な環境には恵まれていました。
そんなクラシカル一辺倒なソボリーでしたが、ふとしたきっかけでラジオを手に入れ、今まで聴いた事がないサウンドに触れるようになり、やがてポップ・ミュージックに傾倒していきました。
その後、ハイスクール時代からはゴスペルなどのさまざまな合唱団やバンドで歌い始め、活動の場を広げていきました。
そしてカレッジ卒業後、プロのミュージシャンを目指し単身ロサンゼルスに移ります。
様々なヴォーカル・セッションなどを経て、数年後、Purple Planet Jam(パープル・プラネット・ジャム)というグループに参加します。
残念ながらメジャー契約には至りませんでしたが、ソボリー個人はその才能を認められ、ソロ・デビューすることになります。
ソボリーをバックアップしたのはジョン・ライアンなる人物。
The Allman Brothers Band(オールマン・ブラザーズ・バンド)やSantana(サンタナ)などを手掛けたプロデューサーでした。
そして1996年、唯一の名盤がリリースされることになりました。
SOVORY (1996年)
- Soul
- May Not Be
- Did You Mean What You Said
- Right Back
- Love Is Still Enoug
- You Sleep,I Cry
- Midnight Sun
- Time
- Can′t Let Me Go
- Sky
ジャンル不明だったアルバムの正体が明らかに。
冒頭「1.Soul」など「白人ロック的R&Bへのアプローチ」のソボリー的解釈とも捉えられます。
「4.Right Back」の曲調やホーンアレンジはスティーリー・ダンの影響が伺えます。
このように、R&B、ソウル、ファンク、さまざまな要素を含んだ楽曲があり、一概にブラック・ミュージックというカテゴリーに分類してしまうのも疑問が残るアルバムです。
また、このアルバムでソボリーは、作曲、ヴォーカル、そして自らプロデュースも担当。
ファースト・アルバムにしてその多才ぶりを発揮しており、アルバムのクオリティなどが評価される中、やはり圧巻は自由自在なヴォーカルです。
アルバム収録曲「3.Did You Mean What You Said」のPVです。
ソウルフルで伸びやかなヴォーカル。そして柔軟な感性は彼の出身地であるサンフランシスコで培われたもので、ゴスペルを原点としたソボリーのキャリアが反映されています。
サンフランシスコは、かつてヒッピー文化などのカウンター・カルチャー発祥の地。
Grateful Dead(グレイトフル・デッド)や Santana(サンタナ)、Boz Scaggs(ボズ・スキャッグス)などを輩出、音楽の解放地とも言われており、様々なジャンルの音楽が雑多に混ざり合った文化を持つ地域です。
そんな土地柄で早くから音楽に傾倒していたソボリー。
雑多な音楽の要素を吸収し、自らの音楽に反映しているのも頷けます。
当の本人も影響を受けたミュージシャンとして、Stevie Wonder(スティービー・ワンダー)、Steely Dan(スティーリー・ダン)、Marvin Gaye(マーヴィン・ゲイ)、The Doobie Brothers(ドゥービー・ブラザーズ)、Lenny Kravitz(レニー・クラヴィッツ)、さらにはElla Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)、Nat King Cole(ナット・キング・コール)といったジャズ・ミュージシャンまで挙げており、枚挙にいとまがありません。
ソボリーの音楽は、サンフランシスコというベイエリア独特の文化に培われ、彼独自の柔軟な感性によって生み出された音楽です。
そして、その魅力は“進化する音楽の過程”を具現している所にあるのかもしれません。
アルバムは絶賛され、ソボリーは新たなアーティストとして世界の舞台に立ちました。
Backseat Role or Lead Role
Lenny Kravitz(レニー・クラヴィッツ)。
ソボリーが「影響を受けたミュージシャン」として名を挙げた人物です。
「SOVORY」名義のアルバムリリース後、ソボリーはバックボーカリストとしてレニー・クラヴィッツのバンドに参加しました。
ソロアーティストとしての活動もままならない程、ソボリーの名は業界に知られることになり、レニー・クラヴィッツの他、SHERYL CROW(シェリル・クロウ)などのサポートも務めました。それほど1stアルバム「SOVORY」は音楽関係者から絶賛され、その影響は大きかったのです。
それはERIC CLAPTON(エリック・クラプトン)にさえ、
「(アルバム「SOVORY」について)これは私がここ数年で聞いた中で最高の新人アーティストだ。」
と言わしめたほどでした。
一流ミュージシャンのサポートメンバーとして活躍する傍ら、「SOVORY」としても楽曲提供やヴォーカリストとして活動の幅を広げていきました。
そのうちの1つがこちら。
1997年に公開された映画「The 6th Man」のサウンドトラックとして 楽曲提供された曲です。
1stアルバム「SOVORY」を聴くと、その延長線上にある楽曲だと納得していただけるでしょう。
また経緯は前後しますが、アルバムリリース以前の1994年にも、ソボリーはシンガーとして後に名曲と言われる楽曲のヴォーカルを務めています。
それがこちら。
NBC放映のTVドラマシリーズから端を発した映画「SAVED BY THE BELL WEDDING IN VEGAS」に挿入された曲です。
楽曲はソボリーによるものではなく、Jay Gruska (ジェイ・グルスカ)と Paul Gordon (ポール・ゴードン)によるもの。
ここではソボリーは「SOVORY」ではなく、 Allen Sovory(アレン・ソボリー)としてヴォーカルを務めており、状況によって名義を使い分けていることが窺い知れます。
またこの曲はCD化されてないこともあり、30年近く時を経た現在でも「あの時の曲は?」という検索も多く、人気の曲でもあります。
メジャー・シーンから離れた感はあるものの、その実力は多くのミュージシャンが認めるところ。
シンガーソングライター・プロデューサーとしての存在感が強まっていきます。
After「SOVORY」
こうなると否が応でも期待されるのが2ndアルバム。
ファンのみならず音楽関係者も関心を寄せるソボリーの音楽。
しかし、待てど暮らせど新着アルバムの一報は届きませんでした。
しかも、移り変わりの早いミュージックシーン。
その間にも新しいミュージシャンが、次から次へ現れは消えていき、次第にソボリーの存在も薄れていき、機を逸した形になってしまいます。
まるで1枚のアルバムを残して忽然と消えてしまったかのように。
Sudden route change
アルバム「SOVORY」リリース後、ミュージシャンとして順調に歩み始めたソボリー。
しかし、「忽然と消えた」のは事実でした。それも本人自らの意志で。
それはヨーロッパでのステージの間に起こったといわれています。
ある「考え」に捉われたソボリーはステージを去り、音楽活動を休止してしまいます。
彼がそこまでして路線変更したのは精神世界でした。
瞑想、スピリチュアル・プラクティショナー、マスター セラピストに没頭して、自己変革を実践していきました。
背景に父親が牧師だったことなど様々な憶測が立ちましたが、真実は本人のみぞ知るところ。
ミュージックシーンから離れていきました。
これが、ソボリーが1枚のアルバムしかリリースしていない理由でした。
しかし、それから10数年後、彼の歌声が届きました。
2010年にリリースされたピアニストSam Ocampo(サム・オカンポ)のアルバム「Homecoming」に収録された楽曲数曲にヴォーカリストとして参加しています。
そのビロードの歌声は健在。ミュージックシーンへの復帰に期待を抱かせるものでした。
しかし、活動は単発で不定期。
およそ音楽業界への完全復帰と呼べるものではありませんでしたが、ソボリーなりのスタンスで音楽に携わっていました。
あるがままに、自分の音楽を自分のペースで楽しんでいるかのように。
From leimertparkbeat
From leimertparkbeat
そして2022年、彼は再びステージに上がりました。
長年の歳月を経て、円熟味を増した彼の歌声は「SOVORY」の時と同じく、いやそれ以上に自由自在でした。
1枚のアルバムを残し、音楽シーンから消えたソボリー。
いや“消えた”という表現は適切ではありませんでした。
自ら選択した環境や、それによってスタンスが変わったとしても、ソボリーにすれば何の変りもなく、思い描いた音楽をやり続けてきただけなのかもしれません。
費やしてきた歳月と変わらぬ歌声がそれを雄弁に語っています。
Everything Is Gonna Be Alright
最後にこちらを。
1996年、シェリルクロウのヨーロッパ・ツアーにサポート・アクトとして参加したソボリーのライブ映像です。
パワフルでソウルフルなステージ。圧巻です。
ソボリーによる楽曲ですが、まるでその後の自身を予見し、鼓舞しているかのようにも聴こえます。
「 Everything Is Gonna Be Alright」
上手くいくさ。大丈夫。
自分を信じていれば。たとえそれがどんな道であろうと。
参考資料:アルバム「SOVORY」ライナーノーツ