masterpiece of album cover
不定期なアルバムジャケットのご紹介シリーズ第5弾です。
今回も邦盤編です。
歴史的な名盤からあまり知られていないアルバムまで羅列してみました。
相変わらずの独断と偏見によるチョイスはご了承下さい。
それぞれに個性的なアートワークをご覧ください。
YMO ( Yellow Magic Orchestra ) BGM (1981年)
- Ballet / バレエ
- Music Plans / 音楽の計画
- Rap Phenomena / ラップ現象
- Happy End/ ハッピーエンド
- 1000 Knives / 千のナイフ
- Cue / キュー
- U・T / ユーティー
- Camouflage/ カムフラージュ
- Mass / マス
- Loom / 来たるべきもの
BGMは1981年にリリースされたYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の5枚目のアルバム。
代表曲「TECHNOPOLIS」(テクノポリス)や「RYDEEN」(雷電/ライディーン)を収録した2ndアルバム「SOLID STATE SURVIVOR」は日本国内でミリオンセラーを記録、オリコンチャートでも1位にランクインし、YMOの名を世界的に知らしめたアルバムでした。
その後、ライヴアルバム「PUBLICPRESSURE」~「X∞MULTIPLIES」を経てリリースされたBGM。
ポップで華やかなそれまでのテクノサウンドから一転、アンダーグラウンドで暗鬱なイメージの楽曲が大半を占め、ある意味リスナーの期待に反するアルバムとなりました。
しかし、このBGMを契機に音楽性の高い楽曲が次々にリリースされ、YMOサウンドの転換期となったアルバムでもあります。
そしてサウンドの変化に呼応するかのようなアルバムジャケット。
水道水で歯ブラシを洗うイラストは、不可解ながらもインパクトがあり、話題になりました。
ジャケットデザインは奥村靫正によるもの。
奥村氏がアートディレクターとして参加するようになったこの時期から、オリジナリティを模索。
アーティスト写真を使用せず、今までのYMOのイメージと繋がらないコンセプトで、かつ強いインパクトがあるものということでこのデザインに辿り着いたといわれています。
奥村靫正 record jacket reconstructionより引用
さらに日本盤のレコード・ジャケットは独特の白色の濃さを出すために、印刷に4色と白のオペーク・インクで2度刷った計6色の特色が使われました。
まさかの想定外の歯ブラシのジャケットデザインですが、これに関してはYMOメンバー3人とも即OKだったそうです。
また、ジャケットにうっすらと浮かび上がっている温泉マーク。
「YMO」の文字を温泉の地図記号風にかたどった、通称「温泉マーク」のデザインも奥村氏によるもの。
数々のアーティストのジャケットデザインを手掛けている奥村氏。
YMOのデザインだけでなく、メンバー3人のそれぞれのソロアルバムのデザインも担当。
高橋幸宏氏の3rdアルバム『NEUROMANTIC』(ニウロマンティック)や細野晴臣氏の『S・F・X』のデザインなども奥村氏によるものです。
from tstj-inc.co.jp/yukimasa_okumura/
『NEUROMANTIC』
『S・F・X』
YMOの傑作ともいわれるBGM。
名実共に日本の音楽史に残る名盤です。
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Thee Michelle Gun Elephant 「high time」 (1996年)
- brand new stone
- リリィ
- 恋をしようよ
- sweet MONACO
- シャンデリヤ
- blue nylon shirts (from bathroom)
- bowling machine
- 笑うしかない
- flash silver bus (texas style)
- キャンディ・ハウス
- スロー
- Baby,please go home ~ wave’33
Thee Michelle Gun Elephantはチバユウスケを中心に結成されたバンドで、1996年にメジャーデビュー。
『High Time』(ハイ・タイム)はその2ndアルバム。
1stアルバム『cult grass stars』からわずか8ヶ月後という異例のスピードでリリースされました。
またアルバムはCDとアナログ盤の2パターンでリリースされていて、アナログ盤は『is this High Time?』という異なったタイトルで、収録曲も異なるため、貴重なレア盤として知られています。
『is this High Time?』
デビューアルバム『cult grass stars』はポップ的な要素もあり、耳障りの良い仕上がりでしたが、次第に硬質なロックサウンドへ変貌していく過渡期にあるのが『High Time』。
音圧の強いリズム隊にエッジの効いたギター・リフ、唯一無二のヴォーカル。
ロサンゼルスで録音、マスタリングはLAの名エンジニア、トム・ベイカーによるものらしく、ストレートなガレージロックのサウンドで、更なるミッシェルの進化を予感させるアルバムです。
そしてスーパーマーケットに強盗が立ち尽くすかの如く、インパクトのあるアルバムジャケット。
攻撃性、暴力性を連想させる不穏な雰囲気がミッシェルの前途を予感させ、乾いたサウンドを象徴するデザインです。
ジャケット写真は、まだカメラマンだった頃のSofia Coppola(ソフィア・コッポラ)によるものだそうで、ミッシェルを被写体に他にも数カット撮影を行ったといわれています。
本アルバムをミッシェルの最高傑作と評するファンも多く、ミッシェル初期の名盤です。
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高田渡 「ごあいさつ」 (1971年)
- ごあいさつ
- 失業手当
- 年齢・歯車
- 鮪に鰯
- 結婚
- アイスクリーム
- 自転車にのって
- ブルース
- おなじみの短い手紙
- コーヒーブルース
- 値上げ
- 夕焼け
- 銭がなけりゃ
- 日曜日
- しらみの旅
- 生活の柄
日本のフォーク・ミュージックの草分け高田渡。
1967年頃からフォーク・シンガーとして活動を始め、遠藤賢司、南正人らと東京でアマチュアシンガーの集団「アゴラ」として活動。
日本語の詞をつけたアメリカのプロテストソングや、自作曲をレパートリーにライヴで活躍。
その後関西に拠点を移し、高石ともやが主宰する高石事務所に所属。
岡林信康や中川五郎らととも関西フォーク・ソング・ムーブメントの中心的存在になります。
1969年「自衛隊に入ろう」でデビュー。
この曲は当時、共闘運動やベトナム反戦に揺れ動いた若者たちの心を捉え、センセーションを巻き起こしました。
そして、高田渡も一躍注目の人に。
しかし、本人はこの歌を封印。
カテゴライズされることを嫌い、働く人々の日常に寄り添い、そして自分の暮らしをシンプルに歌うことがプロテストソングだという独自の主張を唱え、必要以上に表舞台には現れず孤高の存在となっていきました。
「ごあいさつ」は1971年にベルウッド・レコードからリリースされました。
それまでの「弾き語り」のスタイルから、本作ではバックにはっぴいえんどを起用。
さらに加川良、遠藤賢司らが参加、サウンドも幅が広がり、より高田渡の世界観が深まったフォークソングの傑作です。
有名な和風テイストのバナナのジャケットデザインは河村要助+湯村輝彦。
河村要助氏は1970年代から80年代にかけて、イラストレーターとして活躍。
グラフィックデザイナーとして、西武百貨店やパルコの広告を手がけました。
『ニュー・ミュージック・マガジン』『Bad News』など雑誌の表紙や挿絵を手掛け、その創作活動は広告や出版物にとどまらず、グラフィックデザイン、アートディレクション、舞台美術など、さまざまな分野で活躍。
“イラストレーター”が時代の新たな職業として脚光を集めた、この時期を代表する人物です。
from spaceyui.shop
一方、湯村輝彦氏はヘタウマイラストレーターの元祖として知られ、『ガロ』をはじめ、『ビックリハウス』や『宝島』の表紙デザインを手掛けました。
また、その活動はイラストだけにとどまらず漫画、デザイン、音楽評論など多岐に渡りました。
氏の“ヘタウマ”なイラストや音楽評論は日本のカルチャーシーンに大きな影響を与え、現在でも多くのファンや読者に支持されています。
from natsume-books.com
同時代に活躍した両氏は本アルバム同様、共に制作・活動をしています。
1970年に河村氏、湯村氏は矢吹申彦とともに「100%スタジオ」を結成し活動。
1974年には原田治、佐藤憲吉、大西重成と「ホームラン」というイラストレーターチームを結成。
日本のイラストレーション界に大きな足跡を残しました。
安保闘争、オイルショック、高度経済成長と激動の時代だった1970年代前半。
そしてフォークソングブームに代表される日本のカウンター・カルチャー。
その渦中にいたシンガーソングライターとイラストレーターが出会い制作された時代を象徴する名盤。
必然ともいえる1枚です。
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椿屋四重奏 「椿屋四重奏」 (2003年)
- 群青
- 舌足らず
- 導火線
- かたはらに
- 波紋
- 風の何処へ
椿屋四重奏は2000年、中田裕二(Vo・Gu)によって仙台で結成。
幾度のメンバーチェンジを経て中田裕二、永田貴樹(Ba)、小寺良太(Dr)の3人の三人編成に。
2003年1stミニアルバム『椿屋四重奏』でデビュー。
ロックの初期衝動特有の激しく焦燥感をともなう鋭角的なサウンド。
そして純日本的な歌詞。
一見相容れないこの両者が見事に融合した楽曲で注目を集めました。
和テイストなサウンド、艶のある言葉や昭和歌謡を彷彿とさせるメロディーは、これ以降のアルバムでさらに顕著になり、椿屋四重奏のサウンドの特徴となっていきます。
本アルバムはデビューアルバムということもあり、後々の洗練されたアルバムと比べると、荒削りで剥き出しのロック感がありますが、反して椿屋四重奏の1stアルバムにして傑作との評価も多いアルバムです。
中田裕二(Vo・Gu)が不敵な表情を見せる、赤いポートレート写真のジャケット。
尖ったサウンドに相応しいストレートで挑発的なアートワークです。
アートデザインは小林哉によるもの。
椿屋四重奏の他、レミオロメン、くるり、などのデザインを手掛けています。
写真はカメラマンの笹原清明。
カメラマンとしての活動とは別に、「Spangle call Lilli line」のメンバーとして、音楽活動も行なっています。
歌謡和ロックの先駆けとなった椿屋四重奏。
その始まりはシンプルに“突き刺すロック”でした。
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はちみつぱい 「センチメンタル通り」 (1973年)
- 塀の上で
- 土手の向こうに
- 僕の倖せ
- 薬屋さん
- 釣り糸
- ヒッチハイク
- 月夜のドライブ
- センチメンタル通り
- 夜は静か通り静か
- 君と旅行鞄
- 酔いどれダンス・ミュージック
1970年代初期に活動していたはちみつぱい。
「はっぴいえんど」と共に“日本語のロック”の先駆けとして知られています。
後のムーンライダーズの前身バンドでもあり、そのルーツは1970年に鈴木慶一とあがた森魚の二人を中心に結成された“あがた精神病院”まで遡ります。
やがて蜂蜜麺麭(はちみつぱい)と名称を変えますが、メンバーは一定せず、ロックバンドというよりは、あがた森魚のバックバンド的な活動でした。
その後、あがた森魚氏から独立した形で活動。
鈴木慶一、渡辺勝、本多信介の3名を中心にメンバーを編成、
1972年にバンド名を「はちみつぱい」としました。
1973年にリリースされたアルバム『センチメンタル通り』は、はちみつぱいの唯一のアルバム。
ザ・バンドやグレイトフル・デッドに影響を受けた音楽性と、見事に“音に乗った”日本語。
さらに、当時の東京の下町の情景や雰囲気を描写した歌詞で、まさに“日本語のロック”を体現した作品です。
そしてレトロ感漂うアルバムジャケット。
ジャケット写真は井出情児によるもので、当時の東京の蒲田のある一角を写したもの。
一夜の宴に疲弊した下町の飲み屋街の明け方。
そんな泥臭く、人情味ある情景を切り取った写真です。
フォトグラファー/フィルムメーカーである井出情児氏は、元は劇団で役者として活動。
その後、アングラ演劇、アングラ音楽や70 年代ロックシーンの写真を撮り始め、さらにフィルム撮影を経て、TV番組、プロモーション・フィルムの撮影製作を始めました。
これら一連の作品や活動が、現在のプロモーション映像の流れを形成することになり、 日本のロック・フィルムの第一人者として知られています。
そしてジャケット手前の冷蔵庫にもたれているのはあがた森魚。
本アルバムがリリースされた時期には既にあがた氏は、はちみつぱいからは離れていましたが撮影に参加。
日本のロック黎明期を共に形成した彼等ならではのエピソードとなっています。
サウンド、アルバムジャケット共に1970年初期の当時の東京の情景をとらえた『センチメンタル通り』。
“日本語のロック”を切り拓いた名盤です。
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東京スカパラダイスオーケストラ 『スカパラ登場』 (1990年)
- Strange Bird
- Vampire
- モンスターロック
- 仔像の行進
- ウーハンの女
- Tin Tin Deo
- 月面舞踏
- にがい涙
- いにしえの花
- Golden Tiger
- Hit The Road Jack
- ドキドキTime
- 君と僕
東京スカパラダイスオーケストラ。
言わずと知れた日本を代表するスカバンド。
ヘアメイク・アーティストでもあり、パーカッショニストのAsa-Chang(朝倉弘一)を中心に1985年に結成。
新宿JAMや六本木インクスティックなどでの熱狂的なライヴパフォーマンスで話題を集め、当初は場内の観客による喧嘩が絶えないものでした。
当時は、現在の軽快なスカパラ・サウンドとは違い、ルーツであるスカに忠実なサウンドで、どちらかというとヘヴィーで猥雑な感じのサウンドでした。
その後メンバーの加入を経て大所帯の編成に。
サウンドも厚みを増してきた1990年にリリースされたのが1stアルバム『スカパラ登場』。
既にライヴでの動員数や評判で、その実力が認められていた東京スカパラダイスオーケストラ。
満を持してリリースされたアルバムはオリコン初登場10位を記録しました。
「東京スカパラダイスオーケストラ」とバンド名だけが書かれたピンク色のジャケット。
否が応でも目を引くシンプルで派手なデザインです。
記念すべき1stアルバムでありながら、スカパラのアルバムの中で最も異端とされる1枚。
日本のロックシーンに衝撃を与えたアルバムは衝撃の“色合い”でもありました。
さらに、デビュー当時はアルバムジャケットのピンク色同様、メンバーの衣装スーツもピンク色で揃えており、スカパラらしいセンスがうかがえます。
その後、創立者でありバンマスのASA-CHANGが脱退。
以降もメンバーの脱退、死別、新加入など変遷をし、現在に至ります。
粗削りで土臭いトーキョー・スカ。
スカパラの原点を感じさせる貴重なアルバムです。
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井上陽水 「断絶」
- あこがれ
- 断絶
- もしも明日が晴れなら
- 感謝知らずの女
- 小さな手
- 人生が二度あれば
- 愛は君
- ハトが泣いている
- 白い船
- 限りない要望
- 家へお帰り
- 傘がない
井上陽水は1969年「アンドレ・カンドレ」という名でデビュー。
しかし、鳴かず飛ばずの日々が続き、1971年に本名の「井上陽水」の名で再デビューを果たします。
本アルバム「断絶」は移籍先のポリドールレコードからリリースされた「井上陽水」の1stアルバムです。
階段での1シーンを切り取った印象的なモノクロ写真のジャケット。
「断絶」というタイトルとの関連性は不可解で違和感がありますが、ついつい、その意味を憶測してしまう不思議な魅力があります。
ジャケット写真は武藤義(むとう・ただし)。
ポリドール株式会社の社内カメラマンとして活躍していた人物で、井上陽水をはじめ、沢田研二や野口五郎のジャケット写真を手掛けていました。
ポリドールから独立後は雑誌、写真集、広告、ジャケット写真などで数多くのスター・有名アイドルたちの写真を撮影。被写体を美しく撮ることに定評があり、スターやアイドル達からの信頼も厚いカメラマンでした。
そしてアートディレクション・デザインは松尾博。
井上陽水の他、遠藤賢司などポリドール所属のアーティストのデザインを手掛けました。
ポリドール時代の井上陽水はテレビなどのメディア露出は殆ど無く、外見が一般の目に触れる機会はレコードのジャケット写真などしかありませんでした。
さらにシングル「人生が二度あれば」から3rdアルバム『氷の世界』までのジャケットでは、髪型がアフロヘアー、サングラスは無しで写っており、井上陽水のキャリアの中でも貴重なシリーズでもあります。
また、このジャケット写真からだと、井上陽水=フォークソング=弾き語りといった先入観がありますが、サウンドはこれらのイメージを覆すバンドサウンド。
レコーディングに参加しているのはモップスのメンバーの星勝(ギター)、鈴木ミキハル(ドラムス)、三幸太郎(ベース)でギターの星勝はアレンジも担当。
モップスは当時のグループサウンズとは一線を画し、主としてジャズ喫茶、米軍キャンプなどでの演奏で活動しており、日本のサイケデリック・ロックの草分け的なロックバンドでした。
モップスが参加した本アルバムのサウンドが、奇しくもその後の井上陽水サウンドを決定づける起因となった貴重なデビューアルバム。まだ若々しく未完成の井上陽水の歌唱も魅力です。
映画のワンシーンのような物語性のあるジャケット写真。
アルバムを聴きながら自分なりのストーリーを思い浮かべるのも一興です。
ご試聴はこちら↓
今回も新旧考慮せずランダムに取り上げました。
気になるアルバムがあれば幸い、ぜひチェックしてみて下さい。
次回へつづく。