Remember ’76
Remember ’76と聞いてすぐにピンとくる方はかなりのパンクロック・ファンだとお見受けいたします。のちに、ロゴの入ったガーゼTシャツも流行りました。あっ、一部でですが。
1976年といえば、イギリスでセックス・ピストルズがデビューしパンクロックが席巻した年でした。あらゆるものに唾を吐き掛け、否定し、狼藉の限りを尽くした波乱の時でした。
60年代からのアーティスト達も、この時代の流れに顔を引きつらせていました。
そんな中、一人の男がアメリカからロンドンはソーホーにあるロニー・スコット・クラブに降り立ちました。
「サンタモニカ通りの向こうにも世界があると聞いてね、チョット覗いてみようかなって…。」って理由で。
トムウェイツでした。
瞬く間にこのボヘミアン・エリアとでもいうべきソーホーに溶け込んだトムウェイツ。
いつも通りにピアノを弾き、酒を煽り、タバコをふかし、ジョークを飛ばし、酔いどれショーを繰り広げました。
そう、表を賑わしているパンクロックなど、どこ吹く風といった具合に。
既成のロック・コンセプトや、予定調和のビジネスロックに、辟易していたイギリスの音楽ジャーナリスト達はこの訪問者を好奇の眼差しで見ていましたが、相手は掴みどころのない酔いどれ詩人、トムウェイツ。
名言を吐いたかと思えば毒をまき散らしたり、ウィットに富んだジョークを巧みに操って、真相を煙に巻いたりと、彼の変幻自在の独壇場の前に取り付く島もありませんでした。
こんなトムウェイツに対抗したのか、音楽誌「ニュー・ミュージカル・エキスプレス」はTom Waitsの1文字“a”を削って「Tom Wits!(トムはウィットをまき散らした!)」と評しました。
The Piano has been Drinking
その後フィンランド、ノルウェー、オランダ、ドイツのツアーを経て帰国。すぐさまスタジオ入りし、たったの5日間で録音されたのがアルバム「Small Change」です。先のツアーでの出来事が反映された作品になりました。
Small Change (1976)
出典:https://www.amazon.co.jp
- Tom Traubert’s Blues
- Step Right Up
- Jitterbug Boy
- I Wish I Was in New Orleans
- The Piano Has Been Drinking
- Invitation to the Blues
- Pasties and a G-String
- Bad Liver and a Broken Heart
- The One That Got Away
- Small Change
- I Can’t Wait to Get off Work
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初期のトムウェイツの作品の中でも、そのスタイルを確立したアルバムと言っていい傑作です。歌に登場する人物達も、トムウェイツ・マジックとでもいうべきその描写で、更に個性が際立っています。そしてそこにはリアリティーがありました。
成功の二文字のみを唯一の真実とするかのようなこの社会。そしてそこから落ちこぼれた人間には見向きもせず蔑する時代。
しかし、トムウェイツはそんな人々にスポットを当てました。
ギャンブラー、娼婦、チンピラ、浮浪者、日雇い重労働者など、場末のバーに夜な夜な集い、ビールの泡の向こうに明日を夢見る人々を。
人生の挫折や、敗北、悲壮感を美化し、祭り上げるのではなく、彼らと共にバーのカウンターに座り共に安酒を煽り、夢と現実の乖離、その苦渋を見つめてきたというリアリティーです。
トムウェイツの代表曲とでも言うべき 1.「Tom Traubert’s Blues」。
このアウトサイダーの心理描写とトムウェイツの濁声と映像を想起させるメロディーが相まって秀逸です。思わず涙してしまいます。
サビの部分ではオーストラリアで愛され口ずさまれている「Waltzing Matilda」(ワルチング・マチルダ)の一節が使われています。
またこの曲はロッド・スチュアート、ボン・ジョヴィなどのアーティストにもカヴァーされています。名曲です。
そう歌われる 5.「The Piano has been Drinking」。(ピアノが酔っちまった)
トムウェイツらしい言葉のセンスが凝縮された曲です。
ちなみにアルバム・タイトル「Small Change」は直訳では“小銭”ですが、ここでは“ちっぽけな野郎”というニュアンスで使われています。
“映画界”からの招待状
当時、トムウェイツの恋人であったと言われたリッキー・リー・ジョーンズは、
「彼は自分の歌の中に生きてしまっている。」と語っています。
自らの虚構の物語と、アーティストとしての現実の狭間で悩みながらも、あくまで“裏街の住人”であろうとしたトムウェイツ。
その愚直なまでの姿勢が、新たなステージを引き寄せる事になります。
そしてその事が顕著に表れたのが、翌年リリースされたアルバム「Foreign Affairs 」でした。
Foreign Affairs (1977)
出典:https://www.amazon.co.jp
- Cinny’s Waltz
- Muriel
- I Never Talk to Strangers
- Medley:Jack & Neal/California, Here I Come
- A Sight for Sore Eyes
- Potter’s Field
- Burma – Shave
- Barber Shop
- Foreign Affair
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前作「Small change」に比べると、その仕上がりや統一感にやや欠けるという、やや低い評価でしたが、更に彼の世界を深めた意欲的なアルバムです。
旅によって感じられる異国感。
人は安住の姿勢においては見出せぬ独自の視野を獲得しうるものだ
<9.「Foreign Affair」の歌詞より>
そんな言葉で締めくくられるこのアルバム。
ストーリー性が強まった楽曲が詰めこまれており、日常ならぬ“異国”に誘われます。
ここで特筆すべき曲は 3.「I Never Talk To Strangers」。
場末の酒場を舞台に繰り広げられる、男と女の絶妙な駆け引きを綴った歌ですが、これがフランシス・フォード・コッポラ監督の目に留まり、トムウェイツの映画界での活躍のきっかけとなるのです。
また、6.「Potter’s Field」は曲をバックにしたリーディングのような作品で“ワード・ジャズ”と言われる手法を参考にしており、もう『小説』です。
コッポラとの出会いはもう少し先の話になりますが、期せずしてこの翌年1978年に映画「パラダイス・アレイ」(監督・主演シルベスター・スタローン)に出演することとなります。
役も、本人そのままのバーのピアノ弾きでした。しかもマンブルズ(ぶつぶつ呟く男)というピッタリの役名でした。
アルバム制作、ツアーそしてまたアルバム制作という繰り返しに、やや辟易していたトムウェイツにとってはうってつけの映画出演でしたが、映画公開後のインタビューでは、
「あれはただ金が必要になったんで出演しただけ」とのこと。
なるほど。さようでございますか。
出典:https://www.amazon.co.jp/
映画「パラダイス・アレイ」への出演は、記念すべき俳優デビューであると同時にこの後の彼の音楽作品に多大な影響を与える“事件”と言っても過言ではありませんでした。
From Hell to Heaven
コインに表と裏があるように、物事にも表と裏が有ります。
その殆どは一般的には対義語で表現されています。暑い⇔寒い、重い⇔軽い、暗い⇔明るい、そして男⇔女といったふうに。
人間模様や人生にも、成功⇔失敗、挫折⇔貫徹、希望⇔絶望、品行方正⇔品性下劣など様々な表現があります。
両方の意味も勿論承知しています。
そして、目を向けるのはイイ方ばかりなのも承知しています。
「そんな事指摘されても、それじゃって否定的なことばっかり連ねても気が滅入るばかりなので、止めにしませんか?別に臭い物に蓋をするって訳じゃないですけど。」
そうなるのも、これまた承知しています。
しかし、その目を背けた風景の中に真実があるのも確かで。
悪魔なんていない、酔っぱらった神様がいるだけだ。 <トムウェイツ名言集より>
トムウェイツの世界はそんな見捨てられた真実や辛辣さの先にある優しさを拾い上げてきました。共に呑み込み、共に謳い、共に酔っ払って。
その優しさは、過酷な現実の中にも、まるで一筋の光が差すようであり、
そしてその光は、他のどんな光より、切なくも愛おしいものであると教示してくれるのです。
つづく。