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禁煙のブルースが聞こえる 【禁煙前夜】

暮らし・健康

「たばこのむな」

“のまないでください”というお願いではない。“のむな”という命令、禁煙である。

そして、煙草をのむという表現。
今では一般的に「煙草を吸う」というが昔は「煙草をのむ」とも言っていた。

「あの人は煙草のみやから。」という使い方もその一つで、聞いたことがある方もおられるだろう。

そう、煙草はのみものなのである。
正しくは「喫む」と書いて(のむ)と読むらしい。

喫茶店の「喫」と同じ字である。
「喫茶」は茶を飲む。

さらに「満喫」といえば、十分に飲み食いすること、転じて一般に十分に欲望をみたすこと、心ゆくまで味わうこととされている。

なるほど言い得て妙である。

こうやって調べてみると、喫煙もひとつの文化として享受されていた事が分かる。

また「息を呑む」という表現。
驚いて息を止める時を表すもので、これは息を吸い込むという動作。

「煙草をのむ」という言い方に当てはめてみると、ここでは「煙を吸い込む」という意味で捉えられるだろう。

まあ、これは煙草を吸う行為そのまんまではあるが、改めて「煙を吸い込む」と言葉にすると、何やってんだかと思ってしまう。

煙を吸って喜んでいるわけだし。

であるにも関わらず、25年以上に渡り喫煙者だった私。

そして「たばこをのまなく」なって6年が経過した。

非喫煙者となった私ではあるが、当然スパッと禁煙できたわけではない。

「やめようか、止めまいか」に始まり、「止めれるか、イヤ止められないだろう」とウジウジと悩み考え、紆余曲折し、結局行動に移すまで2、3年という時間を費やした。

ここでは禁煙について綴ってみた。
ああでもないこうでもないと唄うブルースのように。

今から禁煙を考えておられる方から、サラサラそんな気もない方まで何かの足しになれば。

ほら、禁煙のブルースが聞こえる。

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禁煙をおススメする4つの理由

まず断っておきたいのが、「禁煙を達成したから偉い」わけではないというコト。
禁煙を達成してからがスタートであり、吸わない生活が当たり前だと思えないといけない。

かく言う私も禁煙を思い立った。

簡単じゃん。吸わなければいい。

その通り。しかし、その簡単なことができない。
そこが禁煙の難しいところ。

そして気付いた。
これはカラダの問題ではなく脳の問題、考え方の問題だと。

どうやら惰性にまみれた考えを改めないといけないようだ。
そこでまずは、禁煙をススメる4つの理由をまとめてみた。

百害あって一利なし

「タバコは身体に良くない」「百害あって一利なしだ」

知ってます。充分わかってます。耳にタコができるほど聞いたし。

タバコをやめるべき理由として文句のつけようがないひと言。
医学的にも反論の余地も無いまっとうな理由だ。

喫煙者であった頃の私は

「そんな事はない。一利はある。精神的に落ち着かせてくれるではないか?」

などと戯けた反論を講じてみたが、実はニコチン切れを補充し、落ち着いているだけで、中毒症状の緩和と精神的安定をはき違えていただけなのである。

愚かな。ただの屁理屈だったのだ。

さらに

「いやいや、それだけではない。食後の一服は胃液分泌を促進して、消化にイイらしい。ほら、一利あるではないか。」

と、受け売り知識をひけらかしていい気になっていた。

しかし実は逆で、確かに喫煙は胃酸の分泌量を増やすが、胃壁への攻撃因子を増加させる。
さらに一方で、喫煙は血管が収縮し血行が悪くなる。
胃の血管も同じこと。
したがって喫煙し、胃の血流量が減ると胃粘膜は酸欠を起こし、さまざま病気を招くというわけで。

喫煙が消化に良い?誰が言うたかそんなこと。
はぁ~そんな詭弁にすがってまでタバコが吸いたいか。情けない。

これで喫煙を正当化する論は無くなった。
四面楚歌だ。あきらめるしかない。お手上げ。

百害あって一利なし。今すぐにでも止めるべし。

知らず金は煙と消える

「えっと…タバコ、タバコ。あらっ?もう2本しかない。いつの間に?今日そんなに吸ったっけ?」

煙草のみあるある。

「昨日買ったから、1箱あったから20本で…あらっ1箱半以上吸うことになるな。…まっいいか。」

これも煙草のみあるある。

ついでに、1ヶ月何箱吸ったか計算する。
そこまでいけば後は(×1箱の値段)で1ヶ月の煙草代が分かる。

喫煙者なら誰もが一度は計算してみること。そこはちゃんとしてます。

なぜなら、そこから来月の煙草代はなんとしてもキープしないといけないからである。

そう、せっかく計上したのに、その数値の使い方が違うのだ。
残念、致し方ない。

ここでさらに、(×12ヶ月)で1年分、またさらに(×喫煙年数)今まで煙草代でいくら使ったか分かる。
まさに煙と消えた金額である。これはさすがにチョッと引くだろう。

ましてタバコ価格は上がる一方。
1箱600円となるとまさに高級嗜好品だ。

この価格で1日1箱25年喫煙として計算すると

¥600×31日(30日の場合もあるが)×12ヶ月×25年=¥5,580,000

これだけの金額が煙と消えたことになる。

また、禁煙推進などのガイドによく記述されているものに、ブリンクマン指数(喫煙指数)というものがある。

こちらも同じような計算だが、1日に吸うタバコの本数 × 喫煙している年数で計算され、これは金額ではなく、身体に与える悪影響を示した指数である。

400以上で肺がんリスクが高まり、700以上になるとCOPDなどの呼吸器疾患や狭心症などの心疾患に罹患しやすくなり、喉頭がんや肺がんのリスクが高まる」

と警鐘している。

同様に当てはめてみる。
1日1箱20本×25年としても指数は500。

余裕でアウト。

喫煙で使った金額もさることながら、癌のリスクもヤバい。

時すでに遅しか?

これらの数字を知った上でさて、どうしたものやら。
過ぎたことだ、取り返しが付かない、どうしようもないと開き直って吸い続けるか?

いやいやちょっと待て。ここでいったん、仕切り直そうと考えるか?

仮にここで禁煙しても、使った金額は取り返せないが、これから使う金額は残せる。
そして禁煙すれば、身体への悪影響もストップする。
リスク回避と共に、喫煙で悪化した肺や血管などの機能の健全化が計れる。

いい傾向だ。申し分ない。

しかし、これは喫煙者にとって禁煙を決定づける理由としては当たり前過ぎる。

そこでさらに禁煙を後押しするために逆にこう考えることにした。

「喫煙を続けるというコトは、わざわざ金を払って寿命を縮めていること」

ご苦労サンである。
まったく無駄であると理解しないといけない。

さらに分かりやすく言うと、下品ではあるが、

「喫煙とは金をドブに捨てるようなもの。イヤ、それどころかそのドブの水を買って飲んでいるようなもの。」

とも言える。

毎回1本1本、タバコに火を点ける前に思い出すよう努めるべきである。

一寸の光陰 軽んずべからず

「チョッと一服しますか?」「そうですね。じゃぁご一緒させて頂きます。」

二人してデスク、あるいは持ち場を離れて喫煙所に向かう。
喫煙所は1階の突き当りを出て、さらにボイラー室に向かう途中にポツンとある。

エレベーターを使って1階に降り、長い廊下をのたのたと歩いて行く。
およそ5分。そして一服。

ここで余談ではあるが、かつて暇つぶしに、自分はタバコ1本吸うのにどのくらいの時間がかかるのか計ってみた事がある。

上述の事例のように、私も喫煙時代は同僚と一服は当たり前。
コミュニケーションの場でもあった。

おっさんの井戸端会議だ。

その喫煙所の井戸端会議で、この同僚、私が1本吸い終わって火をもみ消しているのに、まだ悠々と吸ってたのである。
「長っ!いつまで吸うとんねん」ってことで、1本吸うのにどのくらい時間がかかるのか計ってみたことがあった。

そして結果、私の場合、平均3分30秒前後だった。

個人によって早い遅いの差はあるものの、概ねそんなものだろう。

おそらくはタバコを取りだし、スマホをいじりながら火を点けたり、他愛もない話をしたりするから、長めに見繕って、所要時間は5分強といったところだろうか?

そしてまたのろのろと廊下を歩いてエレベーターに乗り、持ち場に戻る。5分かけて。
結局合計15分前後の自主休憩。

さらに、1日に1箱20本吸う場合、1日24時間、そのうち睡眠時間6時間として起きている時間は18時間。
寝ながらタバコを吸う奇特な人物はいないと思われるので、ほぼ1時間に1本喫煙している計算になる。

就業時間8時間で8本。これに推計した15分をかけると120分になる。
げっ2時間?実労働6時間?ラッキー。

いやいや、完全に職場放棄である。
タバコを吸わない人からすれば「おのれら何サボっとんじゃい」となって当然のこと。
実際、問題として取り沙汰された企業もある。

それに対して、

「まあまあいいじゃないの?なに細かいこと言って。ちまちまそんなみみっちい計算までして。やだね。
もっとおおらかに物事を捉えられないかね。世知辛いね。やだやだ。」

と、喫煙者は取り合う気配も無い。

確かにそれもまたごもっとも。
「喫煙に要する時間」などと講釈を垂れてはみたが、確かにみみっちい。
重箱の隅をつつくような話かもしれない。

休憩もなく、みっちり働けというのも理不尽である。休憩は休憩で必要。

しかし、時間制限もなく吸いたくなったら自由に取得できるタバコ休憩と意味合いが違う。

仕事の効率が倍増するならまだしも、時間をロスし脳内に煙を染み込ませ、ニコチンで麻痺させているのだから前向きな賛同意見は得難い。

ちなみに1日1箱25年喫煙、1本喫煙所要時間5分として喫煙に費やす時間を計算すると、約900,000分になる。

ピンと来ないので日数にすると625日となる。

1年8ヶ月ほど、寝ずの飲まず食わずでひたすらタバコを吸うことになる。

「時間は平等に与えられるが、結果は平等ではない。」
プロ野球監督:野村克也

10年後20年後、さて、その時の結果はいかに?
そして、その為に今、何をどうすべきか?

対策を考える「時間」はまだある。

これこれ、いずこへ?

そして禁煙をおススメする最後の理由として、今どきの社会風潮がある。
健康志向が高まるにつれ禁煙ブームも到来。
タバコを吸わないのが当たり前になってきている。そう、トレンド。

良いことではあるが、こと喫煙者にとっては肩身の狭い世の中になってしまった。
特にツラいのがタバコを吸える場所がないということ。

かつては公共施設などに禁煙スペースなるものがあって、そこではタバコを吸ってはいけないといったレベルの喫煙に対する認識だった。

ところが今は逆でタバコを吸っていいという場所の方が限定、隔離されている。
ありとあらゆる所でである。

これは喫煙者にとってはある種のストレスだ。
どこへ行ってもまず、喫煙場所を探さないといけないからである。

「チョッと一服。おっといけない。ここは禁煙スペース。タバコが吸える場所は?え~っと。」

これこれ、いずこへ?となる。

しかも、しばらく探し歩いたが見つからず。

こうなると、ニコチン切れによるイライラと喫煙場所が見つからないイライラの相乗効果で、ますます落ち着かなくなる。
限界ギリギリ。
もうココで吸ってやろうかと思っていた矢先にようやく喫煙場所を見つけ、ほっと一服。
ニコチン補給。
そしてまた遠く離れた場所に戻るのである。

状況によるが、かつて知ったる場所や、自分ひとりなら大して問題ではない。
初めて行く場所、特に商業施設、ショッピング・モールなどに家族や友人と行く場合は厄介になる。

せっかくの“お出かけ”、楽しく過ごしていたのに「チョッと一服して来る。」となる。
上述のように徘徊。
当然皆と離れて別行動。
これを1時間おきにやられる。

本人は自分の欲求は満たされているので判らないかもしれないが、周りから見ればハタ迷惑。
ヘタすればタバコ待ちに付き合わされ、挙げ句に喫煙可能な飲食店しか行かない。

これでは皆から煙たがられて当然。タバコだけに。

失礼。
そう、タバコの煙云々の問題だけでなく、人に迷惑をかけている場合は多々ある。

早く気付いた方が良い。
それこそ、大切な人達との貴重な時間を無駄にしているからである。

さらに残念なことに、喫煙を主張したところで、もはや世間は見向きもしない、かまってもくれないということを理解すべきである。

すでに周りから見放されているのだ。

もう右も左もとりかこまれて 後に引けない 男のしがらみ
のりおくれてはなるまいぞ
のりおくれのみじめさは重くのしかかる
泉谷しげる:「巨人はゆりかごで眠る」の歌詞より抜粋

タバコを吸うために喫煙場所を探さないといけない時代。
喫煙が悪しきものとして一般に周知されている時代。

それは文句を言って止められるものではない。あまりに巨大すぎる。
喫煙者が必死になって抵抗しても操作することは不可能。

覆すことのできない、今の“流れ”である。

その流れに乗れないことを、一概に「時代遅れ」と称するかどうかは別として、何か考え直さないといけないことはある筈だ。

明らかに見る

色々と禁煙をすすめる理由について述べてみたが、簡単にまとめると

「タバコは身体に悪いし、お金もかかるやん。
タバコ吸いに行く時間ももったいないし、第一、今どこ行っても吸うトコないやん。禁煙ばっかで。
もう、たばこのむの止めときや。アホらしいわ。」

ということである。

そして最後に「禁煙」の捉え方である。
喫煙者にとっては「禁煙」、“禁じる”と表記するため、我慢する耐えるといったイメージがつきまとい、拒否反応を示してしまうだろう。

確かに禁煙に限らず“禁”と付けばマイナス思考にはなるが。

そこで発想を変えてみる。
“禁”ではなく“辞”と考えてみる。

「タバコを辞める」と表現を変えてみる。

我慢するのではなく、もう手放してしまうと考えてみるのである。

さらにこの考えにプラスして“あきらめて”もらいたい。
禁煙を始める前の心構えであり、キーワードである

例えるならライターが無いとタバコが吸えないのと一緒。
仕方がないので、とりあえずいったん吸うのを“あきらめる”。
そう、この状態が続くということだ。

この「諦める(あきら)める」という言葉。
「とても見込みがない、仕方がないと思い切る、断念する」という意味である。

しかし、この諦という字には「明らか・明らかにする」という意味もあり、本来悪い意味ではない。

「あきらめる」とは「明らかに見る」というコト。

【禁煙前夜】だ。迷いは消し去るべきだ。

喫煙を冷静に客観的に見て、明らかにして判断する。
結果、タバコを“辞めた”方がいいのは明白である。

異論は無い。禁煙だ。

潔くサッパリと。前向きに発想を変える。

次は禁煙の実践である。

 

参考文献:エーザイ企業サイト「胃のサイエンス」
https://www.i-no-science.com/condition/factor/factor04.html

ソニー健康保険組合「禁煙豆知識・喫煙指数(ブリンクマン指数)とは?」
https://www.sonykenpo.or.jp/member/health/nonsmoking/nonsmoking_mame20.html

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