Jah Rastafari
Hugh Mundell(ヒュー・マンデル) 1962年6月14日生-1983年10月14日没
ルーツ・ロック・レゲエ界の重要かつ有名な伝説的ミュージシャン
1983年ジャマイカのキングストンにあるグランツ・ペン・アベニューで車中に居たところを射殺される。
享年21歳
1970年代、ボブ・マーリーによって広く全世界に波及する事になったレゲエ音楽。
そして、その独特なリズムの礎に有るラスタファリ思想。
黒人の精神的解放とアフリカ回帰を掲げたその思想に基づく一連の運動は、ラスタファリアニズムと呼ばれ、その思想を伝えるための手段だったレゲエ音楽の拡散と共に広まって行きました。
特にラスタファリアニズムの発祥の地ジャマイカでは、ボブ・マーリーの出現と国内の不安定な情勢という要素が重なり、ラスタ・ムーヴメント全盛期を迎えていました。
そして少し遡ること1962年。この年はジャマイカがイギリスから独立した年であり、その記念すべき年にヒュー・マンデルが生を受けました。そしてラスタファリアニズム全盛の時代の体現者となっていきます。
伝説の始まり
ジャマイカの首都キングストン。この街でも比較的裕福な家庭で生まれ育ったヒュー・マンデル。
家族の友人にボリス・ガーディナーが居たこともあって、幼少の頃からルーツ・ミュージックに慣れ親しむ環境に居ました。
そのうちにジョー・ギブスのスタジオに出入りするようになり、そこでオーガスタス・パブロと運命的な出会いを果たす事になりました。
メロディカ(ピアニカ)、キーボードの奏者としてすでに著名だったオーガスタス・パブロでしたが、ルーツ・レゲエとダブのプロデューサーでもあり、自身自らロッカーズというレーベルを設立し、様々なアーティストを発掘し世に送り出していました。ヒュー・マンデルもその1人となっていきます。
そして1975年、オーガスタス・パブロのプロデュースのもと、ヒュー・マンデル若干13歳の時に「Africa Must Be Free」という曲でデビューします。
その後2人は曲を書き溜め、アルバムを制作、発表することになりました。
そのアルバムが1978年にリリースされた『Africa Must Be Free By 1983』。
ルーツ・ロック・レゲエを語る上で外せない名盤の1枚です。
『Africa Must Be Free By 1983』(1978)
出典:https://www.amazon.co.jp/
- Let’s All Unite
- My Mind
- Africa Must Be Free By 1983
- Why Do Black Men Fuss And Fight
- Book Of Life
- Run Revolution A Come
- Day Of Judgement
- Jah Will Provide
- Ital Sip
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アルバム・デビューしたとはいえ、まだこの時16歳。
まだ少年のような清々しくも幼さの残るヴォーカルに、オーガスタス・パブロの重くうねるサウンドの対比が印象的です。
少し陰のある楽曲に憂いのある繊細な声とメッセージは当時のルーツ・レゲエファンにとっても衝撃的でした。
タイトル曲「Africa Must Be Free By 1983」。
「1983年までにアフリカは解放されるべきだ」と謳ったこの曲はやはり当時がラスタファリアニズム全盛だったことを伺わせる内容でメッセージ性の強いものでした。
しかし、この来るべき1983年にヒュー・マンデル自らが殺害されるという結末となり、予言めいたものを感じざるを得ない事となります。
そういった意味でもこの「Africa Must Be Free By 1983」は特別な曲として知られています。ヒュー・マンデル・デビューアルバムにして最高傑作との評も高いアルバムで、一聴の価値ありです。
ちなみにこの年、1978年はジャマイカではボブ・マーリーによる伝説的ライヴ「One Love Peace Concert」が行われた年でもありました。
『Time&Place』(1980)
出典:https://www.amazon.co.jp/
- Time & Place
- Great Tribulation
- Rastafari’s Call
- Hey Mr. Richman
- Live In love
- Short Man
- Feeling Alright Girl
- Oh How I Love H.I.M.
- Time Has Come
- Can’t Pop No Style On I
デビューアルバムの衝撃の後の1980年にリリースされた2ndアルバム「Time&Place」。オーガスタス・パブロ率いる強力なバックの演奏に、愁いを帯びた美しいメロディが印象的でルーツ・レゲエ傑作の1枚と言えるでしょう。前作同様のヒュー・マンデルならではのトーンで彩られたアルバムです。
時代を担った若者達
『Jah Fire』(1980)
出典:https://www.amazon.co.jp/
- Be My Princess (Lacksiey Castell)
- Jah Fire Will Be Burning (Hugh Mundell)
- Walk With Jah (Hugh Mundell)
- King Of Israel (Hugh Mundell)
- Million Miles (Lacksiey Castell)
- My Woman Can (Lacksiey Castell)
- You Over There (Lacksiey Castell)
- Black Sheep (Lacksiey Castell)
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そして同年発表された「Jah Fire」はLacksley Castell(ラックスリー・カステル)とのコンピレーションアルバム。スライ&ロビー、アール・チナ・スミスといった強力なバックメンバー達によるサウンドに、それぞれのヴォーカルが際立つこれも名盤です。
ラックスリー・カステルが5曲、ヒュー・マンデルが3曲という構成です。
お互いに似た憂いのあるハイトーンヴォイスですが、聴き比べてみるのも面白いと思います。
ラックスリー・カステルとヒュー・マンデルは友人同士の仲で後にJunior Reid(ジュニア・リード)とも周知の仲となります。
しかし、残念な事にこのラックスリー・カステルもまた病気のために若くしてこの世を去る事に。
24歳でした。しかもヒュー・マンデルの死を見届けるかのように1983年11月死去。
ヒュー・マンデルの死の僅か1ヶ月後でした。
この若き2人の才能の余りにも早すぎる喪失は、残念でなりません。
『Mundell』(1982)
出典:https://www.amazon.co.jp/
- Jacqueline
- Rasta Have The Handle
- Going Places
- Red Gold And Green
- Tell I A Lie
- 24 Hours A Day
- Jah Music
- Your Face Is Familiar
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1982年にリリースされた「Mundell」。こちらもヒュー・マンデルの名盤と評される1枚です。
この頃からダンスホール・レゲエというジャンルが徐々に広がりを見せ始めていました。
そんな風潮を察知したのか、バックサウンドがRoots Radics(ルーツ・ラディックス)という布陣で制作されました。
さらにホーンセクションの効果もあってか、全体的にポップな色調に感じられます。
まだ20歳のヒュー・マンデル、新たな分野に興味を持ちさらに邁進していこうとするのは若者として当然の変化だったのでは。
「 Red Gold & Green」今までとは違った一面を見せる名曲です。
『Blackman’s Foundation』(1983)
出典:https://www.amazon.co.jp/
- Blackman’s Foundation
- Great Tribulation
- Time Has Come
- Stop’em Jah
- Time And Place
- Don’t Stay Away
- Can’t Pop No Style
- Rastafari’s Call
- One jah, One Aim, One Destiny
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1983年リリースの「Blackman’s Foundation」。
オーガスタス・パブロとの共同プロデュースによる“作品集的”なアルバムです。
その死の直前にリリースされ、実質的に存命最後のアルバムとなりました。
シングルカットされ、ヒットした「Can’t Pop No Style」を収録、以前にリリースされたアルバムから抜粋された曲などを含めた構成は、ヒュー・マンデルを知るにはおすすめの1枚です。
Time of Release
『Arise』(1988)
出典:https://www.amazon.co.jp/
- Blessing Of Fari
- Rent Man
- Mr. Big Bad Wolf
- Hey Good Looking
- Arise And Shine
- Nature Provides
- In The Ghetto
- Ghetto Rock
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ヒュー・マンデルの死後、1988年にリリースされたアルバムです。
収録されている曲は1983年の録音らしいですが、インストだけの曲もあり、不確定な部分も。
しかし、アルバムの中で聴くことができるヒュー・マンデルの歌声は健在で存在感を放っています。
サウンドもシンセ音を取り入れたりと今までとは違ったアプローチを見せています。
やはり時代の流れか、ダンスホール・レゲエを意識した作りになっています。
しかしながら根底にはしっかりとしたルーツ・レゲエがあるためか、ブレのない“新たな”ヒュー・マンデルを垣間見ることができます。
存命ならばどんな音楽を奏でていたか?そんな期待を抱かずにはいられない“遺作”です。
1970s
1970年代世界の音楽シーンは激動の時代でした。
1973年、ボブ・マーリーが「Catch a Fire」でメジャーデビューを果たし、ジャマイカからレゲエという音楽が発信され、その今までにないリズムとメッセージに世界は驚嘆しました。
1976年セックス・ピストルズが「アナーキー・イン・ザ・U.K.」をリリース、イギリスからパンクロックという音楽が発信され、そのサウンドとともに、過激な言動とファッションは世界の注目を集め、瞬く間に世界に影響を及ぼしました。
この二つの大きなうねりの背景には、独立間もない国家の貧困と不透明な情勢、先進国ながら貧富の格差を抱える政治不信、そんな閉塞感を打破する“解放”というキーワードがある気がします。
そして同時代、“解放”の気運のラスタファリアニズム全盛のジャマイカ・レゲエ・シーンに彗星のごとく現れ、鮮やかな色を添えたヒュー・マンデル。
時代を象徴するミュージシャンの一人であり、その数奇に満ちた生涯とともに、彼の音楽はルーツ・レゲエにおいて伝説となりました。
しかし今もなお、彼の残した音楽は色褪せることなく輝きを放ち、聴く者を魅了します。