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Tom Robinson Band

Tom Robinson Band 音楽

1970年代後半、ロンドンで勃興したパンク・ロック・ムーブメント。

セックス・ピストルズやザ・クラッシュ、ダムド、ザ・ジャムなどといったパンクバンドが群雄割拠する中、異彩を放ったバンドが
Tom Robinson Band (トム・ロビンソン・バンド)でした。

そのサウンドはパンク的ではありましたが、キャッチーなメロディーとシンプルなロックサウンドで、全英チャートの上位にランクインする人気を誇りました。

またそのメッセージも他のバンドとは一線を画したもので、当時の社会風潮に一石を投じ注目を集めました。

しかしその活動期間は僅か3年と短く、2枚のアルバムをリリースして解散。

短命に終わったバンドでしたが時代の先駆けとなったその存在は、後の音楽シーンや社会制度にも多大な影響を与えました。

トム・ロビンソン・バンドの軌跡を辿ります。

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Tom Robinson

トム・ロビンソン・バンド(TRB)は1976年にTom Robinson(トム・ロビンソン)を中心に結成。

デビューシングル2-4-6-8 Motorway 」は全英シングルチャート5位にランクイン。
また「Glad to Be Gay 」はゲイ、
LGBTの解放運動の先駆けとなり、イギリスのゲイアンセムとして知られています。

自らの名を冠したバンドを率いたトム・ロビンソンとは一体どんな人物?

トム・ロビンソンは1950年英国ケンブリッジ生まれ。

13歳の時、学校で別の男子に恋をしたことで自分がゲイであることを認識。
当時イギリスでは男性同性愛行為は犯罪であり、懲役刑に処せられていました(1967年には法改正)。

この環境下で苦悩した彼は神経衰弱になり、16歳で睡眠薬による自殺未遂を。

その後、校長の勧めでケント州にあるフィンチデン・マナーに転校。

このフィンチデン・マナーは私立の全寮制男子校で、感情的問題を抱え疎外されてきた子供達の治療施設として知られていました。
ここでロビンソンは
6年間を過ごしました。

そしてこの多感な時期に彼に影響を与えたのはラジオでした。
John Peel(ジョン・ピール)のDJやナンバーを聴き、音楽に傾倒していきます。

John Peel     From:soundcloud.com

Alexis Korner

また、この学校のOBにはブリティッシュ・ブルースの父といわれたAlexis Korner(アレクシス・コーナー)がおり、彼が母校を訪れ、後輩たちのために歌と演奏を披露。

貧困と差別への抵抗、そして愛を歌う彼のステージを目の当たりにしたロビンソンは衝撃を受け、音楽の道に進むことを決意します。

70年代に入るとロビンソンはロンドンへ移住。
音楽活動を開始します。

一方でロンドンのゲイ・シーンに足を踏み入れ、ゲイを包み隠さず人生を謳歌し始めます。
さらにゲイ解放運動にも関わるようになりました。

束縛から解放されたロンドン。
1973年アコースティック・トリオのカフェ・ソサエティを結成。
アーティストとして活動を始めますが、制作側とのトラブルや商業的にも失敗、グループを脱退します。

この頃英国ロックシーンではパンク・ロックが席巻。

セックス・ピストルズのギグに衝撃を受けたロビンソンは次第にそのサウンドに影響を受け、自らのバンド結成を意識し始めます。

その後、ロビンソンの旧友Danny Kustow(ダニー・クストウ)がギタリストとしてともに活動するようになります。
二人はバンドを結成する為、
音楽新聞に小さな広告を出しベースとドラムのメンバーを募集。

これによりドラムにDolphin Taylor(ドルフィン・テイラー)が参加。

残るベーシストにはMark Ambler(マーク・アンブラー)が適任とされましたが、彼はベーシストとしてだけではなくキーボード奏者でもありました。

長年にわたり、ジャズ・ピアニストのStanley Tracey(スタン・トレイシー)のもとでピアノを学んでおり、彼の卓越したハモンドオルガンの演奏を聴いてロビンソンは自身がベースを担当するべきだと決断したといわれています。

こうして1976年トム・ロビンソン・バンドが結成。

パンク全盛のロックシーンに参入していきます。

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Power in the Darkness

トム・ロビンソン・バンド(以下TRB)はロンドンのパンクブームの真っ只中、クラブシーンに進出。

結成当初から反人種差別や政治的な不正への批判、そしてロビンソン自身が公言するゲイ権利擁護といった明確な政治的スタンスを打ち出しました。

そのメッセージ性と、高い演奏技術によるライブは絶賛され、大手レーベルがTRB獲得に名乗りを挙げました。

そしてEMIレコードと契約。TRBは好条件のもと活動を開始し、このチャンスをものにします。

そして1977年シングル「2-4-6-8 Motorway」をリリース。
このナンバーは全英シングルチャートのトップ5にランクインしTRBの代表曲となりました。

「『トップ・オブ・ザ・ポップス』、ラジオ1、EMIレコード、そしてニュー・ミュージカル・エクスプレスの表紙を飾るという、まさに輝かしい地位へと上り詰めた。」

当時を振り返り、ロビンソン自身もこう回顧しています。

この後、1978年にリリースされたデビューアルバムが『Power in the Darkness』。
握りしめた拳のデザインで有名なアルバムです。

Power in the Darkness (1978)

  1. 2-4-6-8 Motorway
  2. Up Against The Wall
  3. Grey Cortina
  4. Too Good To Be True
  5. Ain’t Gonna Take It
  6. Long Hot Summer
  7. The Winter Of ’79
  8. Man You Never Saw
  9. Better Decide Which Side You’re On
  10. You Gotta Survive
  11. Power In The Darkness

アルバムは元セックス・ピストルズのプロデューサー、Chris Thomas(クリス・トーマス)をプロデューサーに迎え、ロンドンのウェセックス・スタジオで録音されました。

ピストルズに代表されるようなパンク・ロックの攻撃性を持ちながらも、TRB独自のメッセージと高い演奏技術を活かしたストレートでパワフルなサウンドを実現。

特にサウンドに厚みを加えるマーク・アンブラーのオルガンが秀逸。
加えてポップで馴染みやすいメロディーが見事に調和し、他のパンクバンドとは一線を画すアルバムです。

アルバム冒頭1.2-4-6-8 Motorwayは先行シングル・リリースされたナンバー。
長距離トラックの運転手の生活を描写したもので、イギリス高速道路の距離標識の200/400ヤード間隔に沿って車線を加速するリズムに合わせて、自由な生き方への賞賛が歌われています。

(デビューシングルとなった「2-4-6-8 Motorway」は日本盤等一部のレコードに収録されていて、本家UK盤には収録されていませんでした。)

アルバム全体を通して社会的・政治的なメッセージが強いストレートなナンバーが続きます。

そしてタイトル曲11.Power in the Darkness。
「暗闇の中にも力がある」というフレーズが象徴的で、差別や抑圧に対する抗議が力強く表現されており、社会派パンク・ロックとしてのバンドのスタンスが明確に示されているナンバーです。

さらに、印象的なアルバムジャケットのアート・ディレクションはBrian Palmer(ブライアン・パーマー)によるもの。

UK版LPには「Tom Robinson Band」とロゴが書き換えられたステンシル(型抜き紙)が付いており、壁面などにあててスプレーすればこのデザインがペイントされるようになっていました。

ただし

「THIS STENCIL IS NOT MEANT FOR SPRAYING ON PUBLIC PROPERTY !!!
(このステンシルは公共の場所にスプレーするためのものではありません)」

と警告付きでした。

アルバムはUKアルバムチャートで4位にランクイン。
さらにゴールドディスクを獲得しました。

バンドもキャピタル・ラジオ・ミュージック・アワードの1977年のリスナー投票で「最優秀新人バンド」と「最優秀ロンドン・バンド」に選ばれ、UKロックシーンのトップに躍り出ました。

TRBを代表するアルバムであるとともに、パンクの枠を超えた政治的ロックの名盤です。

ご試聴はこちら↓

トム・ロビンソン・バンドの「Power In the Darkness」をApple Musicで
アルバム・1978年・19曲

Glad to Be Gay

アルバム『Power in the Darkness』がリリースされた同年の1978年、4曲入りのEP『Rising Free』がリリースされました。

Rising Free (1978)

  1. Don’t Take No For An Answer
  2. Glad To Be Gay
  3. Martin
  4. Right On Sister

これは1977年に先行シングル「2-4-6-8 Motorway」がリリースされた頃、ロンドンのライシーアム劇場で行ったライヴ音源をプレスしたものでした。

その中に収録されたナンバーが「Glad to Be Gay」
英国のゲイアンセムといわれ、TRBを語る上で外せない重要なナンバーです。

前述のように英国では1967年までゲイは犯罪であり、懲役刑に処せられていました。
この年に
イングランドとウェールズで、21歳以上の男性同士の同性愛行為がようやく合法化されましたが、依然ゲイに対する警察当局の偏見と嫌悪は根強く残っていました。

「Glad to Be Gay」はそんな当時のゲイに対する偏見や差別に対しての率直な怒りであり、抗議の意思表示でした。
自由への解放の機運もあり、EPは全英18位を記録し、「Glad to Be Gay」も注目のヒット曲となり支持を集めました。

しかし一方で、発売当初は各方面で様々な波紋を呼びました。

イギリスの国営ラジオ局BBC Radio 1は当時のこの曲をラジオで流すことを拒否。
また、TRBはデビュー以前からのこのナンバーをライヴで演奏、人気を博していたにもかかわらず、この「Glad To Be Gay」が理由で、パンク系インディーズ・レーベルとの契約も差し戻された経緯がありました。

結果、大手レーベルEMIと契約し成功を収めますが、EMIもその直前にセックス・ピストルズと契約、そしてピストルズとのトラブルで契約破棄。
逆に多額の違約金を支払わされる痛手に会っていたため、TRBとは期せずして出会った新たなシーンの担い手だったと言えるでしょう。

現在でもLGBT(性的少数者)の人々から絶大な支持を得ている楽曲で、マイノリティだけでなく全てのロックの根底にあるスピリッツを象徴するナンバーです。

Rock Against Racism (RAR) 

ここでTRBの活動とその背景について。

ロビンソンがLGBT(性的少数者)であったため、その反骨精神が育まれたこともありますが、実はこの当時のロックシーンは政治的、社会的にも深く関わりがあった時代でもありました。

TRBが活動を始めた1970年代後半のイギリスはまさに混沌としていました。
オイルショックなどの影響で経済が停滞し、失業率が上昇、生活水準が低下し、不況の真っ只中でした。

そしてその不満のはけ口として、黒人やアジア人への人種差別やマイノリティーへの軽視など様々な社会問題も浮上。

From:press.moviewalker.jp

情勢が悪化する中、支持を高めてきたのが白人至上主義者たちの極右組織ナショナル・フロント(NF)。
排外主義的な風潮が広まりました。

この危機的状況に異を唱えるべく、人種差別に反対する団体が設立されました。

それが
Rock Against Racism(ロック・アゲインスト・レイシズム)でした。

演劇人でフォトグラファーのRed Saunders(レッド・ソーンダース)等が中心となり、賛同したミュージシャンやロックバンドと共にコンサートを開催。人種差別に反対するメッセージ掲げました。

RARはアーティスト、ライター、ファッションデザイナー、役者、ミュージシャンなど、様々な職種の人達で構成されており、その共通項は反人種差別、そして音楽でした。

From:marshall.com

1976年にロンドンで最初のRock Against Racism(以下RAR)によるライヴ行われました。

その後、メッセージに賛同し、RARの傘下として共に活動を開始するローカルグループがイギリス全土に拡大していきます。

小規模なライヴ、カーニバル、コンサート、抗議デモ、集会と様々な形態で抗議活動が開催されました。

TRBはこのRARの初期から支援者であり、活動をともにし、ライヴだけでなく会合などにも参加。
その活動はRARにとっても多大な影響がありました。

彼等が元々主張していたマイノリティーに対する差別や抑圧への抗議と、時代の流れが呼応しており、必然ともいえるものでした。

またこの時代はセックス・ピストルズやザ・クラッシュといったパンクバンドがシーンを席巻、Steel Pulse(スティール・パルス)、Misty in Roots(ミスティ・イン・ルーツ)といったレゲエ・バンドが台頭してきた頃でもありました。

どちらも経済的・社会的な閉塞感で混沌としたストリートから派生してきたもので、リアルな日常を体現した音楽が、社会体制や政治状況に対して大きな影響力を持った時代でもありました。

 

1978年には、RAR最大の象徴的な野外コンサートが反ナチ同盟と合同でイーストロンドンのヴィクトリアパークで開催されました。

イギリス全土から10万人が集まり、TRBをはじめ先述のザ・クラッシュ、スティール・パルス、ミスティ・イン・ルーツ、エックスレイ・スペックスといったパンクとレゲエの先駆者たちが出演しました。

From:Syd Shelton

その後、1979年には保守党が政権の座に就き、社会情勢は徐々に落ち着きを取り戻しますが、以前不況は続き1980年代前半までRARの活動が続きます。

彼等の反人種差別の活動はアメリカ、ニューヨークをはじめアイルランド、フランス、オランダ、ドイツ、ノルウェー、南アフリカ、オーストラリアなど世界各地へ広まり、現在も人種差別撤廃活動の理念の中に息づいています。

Gradual Collapse

時代を象徴するバンドとしてその名を知られたTRBでしたが、1stアルバム『Power in the Darkness』のレコーディング後、キーボードのマーク・アンブラーが脱退。
サウンドの重要な一角を欠いてしまいます。

アンブラーの代わりにキーボード奏者のイアン・パーカーが加入。
その後、2ndアルバムが
レコーディングされました。

TRB Two (TRB2) (1979)

  1. All Right All 
  2. Why Should I Mind
  3. Black Angel
  4. Let My People Be
  5. Blue Murder
  6. Bully For You
  7. Crossing Over The Road
  8. Sorry Mr. Harris
  9. Law And Order
  10. Days Of Rage
  11. Hold Out

1979年にリリースされたアルバムが『TRB TWO』(邦題「TRB2」)。

前作でプロデュースを務めたクリス・トーマスに代わり、本作はTodd Rundgrenトッド・ラングレン)を起用。サウンドもソウル、ブルースの要素を取り入れた楽曲が多く含まれるアルバムとなりました。

3.Black Angelや11.Hold Outなどが代表曲として知られており、マーク・アンブラーからキーボード奏者が代わったことからか、オルガンよりピアノが中心となっています。

また、シングルカットされたナンバー、6.Bully For YouはPeter Gabriel(ピーター・ガブリエル)との共作。

アルバムはUKチャートでは18位まで上がるヒット作となりました。
前作より洗練されたアルバムと評され、トッド・ラングレンの起用が功を奏した形となりましたが、一方でバンドは緩やかな崩壊へと向かっていきます。

アルバムの選曲の段階でトッド・ラングレンとドラマーのドルフィン・テイラーが意見対立。
それがきっかけでテイラーはバンドを脱退。

急遽起用されたプレストン・ヘイマンがドラマーとしてレコーディングに参加しました。

アルバムのリリース後、ツアーを開始しますが、既に2人が脱退している中でのバンドの維持は困難。
TRB内部の不和は深刻化していました。

その後1979年にギタリストのクストウが脱退。

TRBは解散。結成からわずか3年と短い活動期間でした。

ご試聴はこちら↓

トム・ロビンソン・バンドの「TRB 2」をApple Musicで
アルバム・1979年・18曲

後にロビンソンは、1stアルバムのレコーディング直後のマーク・アンブラーの脱退から振り返り

「実際、バンドの衰退はまさにあの瞬間から始まっていると言えるだろう。マークに脱退を迫る圧力に屈したことが、間違いなく最初の致命的なミスだった。バンドの輪が壊れてしまったんだ」
と回顧しています。

Impact of TRB

パンク・ロック全盛期に突如現れ、あっという間に時代を駆け抜けたトム・ロビンソン・バンド。

そのメッセージは政治的、社会的で社会派パンク・ロックとよばれました。
また現在のLGBT解放運動や人権擁護の先駆けとなり、今もなお根強い人気を誇っています。

そしてシンプルでありながら重厚でストレートなサウンドそしてキャッチーなメロディーは、イギリス国内のみならず世界に影響を与えました。

日本でも80年代パンクシーンやバンドブームに多大な影響を与えました。

1979年には来日公演しており、特にインディーズ系のパンク、ビートロックのバンドにはTRBなどのブリティッシュ・ロックや初期パンク・ロックを手本、参考にしていたミュージシャンも多く、彼等のサウンドにその影響を窺い知ることができます。

時代が求めた反骨精神とロック。
トム・ロビンソン・バンドはまさにそれを体現したバンドでした。

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