でも、静かで優しい音楽が、ある状況では激しいリズムに合わせて大声で喚く以上に、ラディカルでアナーキーでありうると思う。僕の音楽は、その一例なんだと考えている。」
FOOL’S MATE 1984年3月号掲載 ヴィニ・ライリーインタビューより抜粋
My message is to get the music out of the hands of business people
The Durutti Column(ザ・ドゥルッティ・コラム)
イギリスのバンド・アーティストで、The Durutti Columnと称されていますが、基本的にはVini Reilly (ヴィニ・ライリー)によるソロ・ユニットです。
1970年代後半、世界を席巻したパンクロック。短命であったにも関わらずそのインパクトと、その後に与えた影響は多大なものがありました。その顕著な例がパンク終焉後の混迷を極めたロックシーンに現れたポスト・パンクと呼ばれるムーブメントでした。
そんな時期、1979年にイギリス、マンチェスターにあるファクトリ・ーレーベルからデビューしたのがドゥルッティ・コラム。
このファクトリー・レーベルは巨大化した音楽産業に対するアンチテーゼとして誕生したレーベルで、
Joy Division(ジョイ・ディビジョン)やA Certain Ratio(ア・サートゥン・レイシオ)など、ポスト・パンク、ニューウェーブ時代を代表するバンドを世に送り出したインディーズ・レーベルでした。
Joy Division
出典:https://tower.jp/
A Certain Ratio
出典:https://jazzrocksoul.com/
一方、ヴィニ・ライリーは1977年にマンチェスターでノースブリーズというバンドを結成。
パンクバンドとしてそのキャリアをスタートさせていました。
そしてそのヴィニ・ライリーに着目していたのが、ファクトリー・レーベルでした。
しかし、その契約は頓挫することになったのです。
ビジネスマンの言いなりになるんではなく、音楽を音楽家の手に取り戻し、そのイニシアティブをもって本来の自分のやりたい音楽をやるということ、これがパンクのイデオロギーだと考えていた。
でも、実際には、僕が始めた頃にはすでにパンクは音楽産業のなかにドップリと浸かっていて、その運動サイクルを閉じようとしていたときだったんだ。
もう本来のパンクなんてカケラも残っていないっていうことにね。
それで僕はバンドを解散した。」
FOOL’S MATE 1984年3月号掲載 ヴィニ・ライリーインタビューより抜粋
反商業主義としての象徴であったパンクが、その衰退と共に、ビジネスパンクとして横行する音楽業界に辟易したヴィニ・ライリーは、バンドを解散、自身も音楽を放棄しかけていたのでした。
しかし、FACTORYのプロデューサー、マーティン・ハネットとファクトリー創設者のアラン・イラズマスらはヴィニ・ライリーを説得、ヴィニも新たなアプローチに活路を見出し、ソロプロジェクト、ザ・ドゥルッティ・コラムとしてデビューする事になりました。
The Return of The Durutti Column (1980)
出典:amazon.co.jp/
- Sketch for Summer
- Requiem for a Father
- Katharine
- Conduct
- Beginning
- Jazz
- Sketch for Winter
- Collette
- In ‘D’
- Lips That Would Kiss
- Madeleine
- First Aspect of the Same Thing
- Second Aspect of the Same Thing
- Sleep Will Come
- Experiment in Fifth
そんなヴィニ・ライリーが提示したのは、パンクロックとは正反対の資質を持ち、淡々とリフを重ねた透明感のある抒情的なサウンドでした。
エコーやディレイを駆使し、多重録音によって紡ぎ出された音で、淡い水彩画のような世界を描いて見せました。
ヴィニ曰く、
そんなことをぼんやりと考えながら、戸外の自然に自分を溶け込ませてゆき、何気なくギターを手にしたときに、ドゥルッティ・コラムの最初の録音が生まれたんだ。
こうした自然で純粋な方法、ある意味でスポンティニアスな姿勢がドゥルッティ・コラムの基本になっている。」
FOOL’S MATE 1984年3月号掲載 ヴィニ・ライリーインタビューより抜粋
サウンド的にはお世辞にもパンクとは言えないものであるにも関わらず、その根底のスピリチュアルな部分はまさにパンクであり、唯一無二のドゥルッティ・コラムの世界の始まりとなる記念すべきアルバムです。
さらに興味深いのが、ジャケットデザイン。
この1stアルバムの初回盤は表も裏もサンドペーパーで覆われており、取り出すたびに他のレコードを傷つける “紙やすり製” ジャケットでした。
このアイデアはファクトリーレーベルのオーナーであるトニー・ウィルソンが考案したもので、
「周りの物を傷つけたくなくとも、痛めてしまう」という二律背反を含んだ独自のアイロニーでした。
2ndプレス以降のアルバムには、黒地のジャケットに“色彩の魔術師”と呼ばれるフランスの画家ラウル・デュフィの絵画が採用されたデザインとなりました。
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Buenaventura Durruti
そもそも「The Durutti Column」という名は?
その由来は、Buenaventura Durruti (ブエナベントゥーラ・ドゥルティ)という人物。
1936年~1939年の間にスペインで起きた内戦でフランコの反乱軍に対抗し、共和軍に参加して闘ったカタロニア出身のアナーキストだったブエナベントゥーラ・ドゥルティ。
そして彼が率いた小隊の通称がDurutti Column(ドゥルティ・コラム)。
「Column」とは軍隊の隊列のことで、「ドゥルティ旅団」などと呼ばれ、少数精鋭の比喩とされています。
ドゥルティは約3000人の隊列と一緒にアラゴンからマドリードへやってきて、共和国軍の防衛を指揮しましが戦死。長を失ったドゥルッティ・コラムでしたがその戦果は目覚しく、敵の脅威となりました。
FOOL’S MATE 1984年3月号掲載 ヴィニ・ライリーインタビューより抜粋
抑制された寡黙な反抗と、自然で静謐な音という相容れないものが共存する異形の存在となっていきます。
The Missing Boy
出典:amazon.co.jp/
- Sketch for Dawn (1)
- Portrait for Frazier
- Jaqueline
- Messidor
- Sketch for Dawn (2)
- Never Known
- The Act Committed
- Detail for Paul
- The Missing Boy
- The Sweet Cheat Gone
- For Mimi
- Belgian Friends
- Self-Portrait
- One Christmas For Your Thoubhts
- Danny
- Enigma
1stアルバム「The Return of The Durutti Column」の翌年に早くもリリースされたのが、この「LC」でした。「LC」とは「Lotta Continua」の略で、「闘いは続く」といった意味合いを持っています。
サウンド的には前作の延長線上にあるアルバムと言えるでしょう。
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しかし、1stとの顕著な違いを見せたのが、収録曲中4曲でヴィニがヴォーカルをとっているということ。
そしてドラム、パーカッションには、「2人目のドゥルティ・コラム」と呼ばれ、本作以降長い付き合いとなるブルース・ミッチェルが参加しているということです。
さらにヴィニもピアノを演奏し、4トラック・レコーダーを使った、ヴィニ自身による宅録を基に制作されたアルバムでした。
特筆すべきは9.”The Missing Boy “。
同ファクトリー・レーベルであるジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスの死について歌われています。
このアルバムリリース前年に自死したイアンとヴィニは親友であり、彼の死による虚無感や哀しみを綴った「静かなパンクロック」と呼ぶに相応しいナンバー。
まさに混迷するロックシーンに翻弄されながらも真摯であろうとし、それを体現した両者を象徴する名曲です。
Lotta Continua
独特の繊細で静謐なサウンドは、水彩画のように淡く儚いイメージがあります。
しかしその反面、強靭な意志と反骨精神が根底にあり、
それが故に単なるヒーリング・ミュージックとは一線を画した、孤高の「ドゥルティ・コラム」の世界が構築されました。
そしてそれは“少数精鋭による”闘い”が始まったことを意味し、
アルバム「LC」のタイトル同様、その「闘いは続く」ことを示唆しているのです。
さらに、その「闘い」は、後のロックシーンやアーティストに多大な影響を与えることになっていきます。